時空自在

50代作家志望会社員の人にいえない話

かってサンカと呼ばれた人々がいた

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 かってサンカと呼ばれた人びとが日本にいた。

 定住地、つまり定まった家屋をもたず深山幽谷を廻遊する流浪の民の存在を耳にした事がある人も少ないないのではないだろうか。

 柳田國男を始めとして民俗学の研究対象ともなっており、日本人の文化・習俗の”ロスト・ワールド”として郷愁をかきたてられる対象であるようだ。

 

 ところがこのサンカ、発生の起源は以外にも新しく19世紀初頭の天保飢饉がきっかけであるといわれている。飢饉により農村での生存を脅かされた貧民が、木の実や川魚で死活を凌ぐために山間部に逃れた事から、川での漁労や箕などの竹細工の製造・修理を生業とする非定住集団が形成されるようになった。

 これらの人々(地方によってサンカ、カンジン、ミツクリなどと呼ばれた)は定住集落と竹細工の販売・修理や川魚の卸を通じて接点を持ちながら、自らは決して定住せず、山間を廻遊しながら洞穴・天幕・仮説住居に居住した。

 宗門改制度によって人民の戸籍管理をしていた江戸幕府にとって非定住民であるサンカが増える事は望ましくなかったようで、「革田で追い払え」というような庄屋からの指示も出されたりした。そして明治維新後、新たな戸籍制度で国民すみずみに及ぶ租税や徴兵を施行しようとした政府にとってサンカは同化・定住政策の対象となった。

 しかし、行政の度重なるサンカ”捕捉”の試みは決して成功したとはいえない。サンカは、行政が子供を小学校に通わせるためなどの大義名分をもって住居を与えても、一定期間を過ぎると雲のように集落から消えてしまう。サンカたちの文字による記録があるわけではないので、明治期の体制側とのイタチごっこのような定住政策からの逃走の詳しい動機はわからないのだが、この窮屈な日本で、体制に飼育されることを拒んだ人々がいたという事は、何かロマンをかきたてられずにいられない。

 

 ではサンカはどのように消滅していったのだろうか。1960年代までは農村に竹細工を売りにくるサンカの存在が記録されている。彼らが足跡を消すのは70年代以降、石油産業の発達とプラスチック製品の普及と相前後しているらしい。主な収入源であった竹細工が、時代の趨勢の中でプラスチックに代替されていくとともにサンカの経済基盤は失われていった。幕藩制度の末期、年貢体制の下で生存できず定住からの逃走に活路を見出した集団は、ある技術が別の技術にとって変わられるという人間が繰り返してきた社会変動の大波に呑み込まれて姿を消していったのである。

 

 サンカは消え去った。幕藩体制の矛盾が産み出し、明治以降の近代日本の生きずらさの隙間を縫って飄然と生き続け、高度経済成長の技術革新の荒波に抵抗する術もなく霧のように消えていった。

 さて21世紀も17年を経過したこの日本。経済格差の拡大や社会的統合軸の崩壊が進む中で、サンカとは全く別様の国家権力に捕捉されない非定住民が出現する可能性はあるのだろうか?

 私は、充分あり得る、と考えている。

 

(参考文献:『放浪・廻遊民と日本の近代』長野裕典著/弦書房