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規範的女らしさをこえて

書評『女子プロレスラーの身体とジェンダー』(合場敬子著/明石書店

         

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筆者である合場敬子氏は、私と同様、もともと女子プロレスに深い関心があったわけではない。「まえがき」にあるように、かって腰痛により精神的な意欲を喪失した筆者が、ウォーキングを通じた身体の復活から精神的な希望を得た体験にもとづき、精神と身体が実は密接な結びつきがあることに気づいたのが、ジェンダーを身体との関係で考えるようになったきっかけだという。いわば女子プロレスは筆者にとって研究素材なのであり、分析の対象として、社会的に稀有な「女性が身体を鍛えて金を稼ぐ」世界に切り込んでいる。

 

本書を通底するのは「女性は身体的力では男性には敵わないのか?」という問題設定である。「女性は身体的に弱い」ことを前提としたリベラルフェミニズムへのアンチテーゼがそこにある。

女性は身体的力では男性には敵わないのか?

私自身、空手指導を通じて「護身に役立てたい」という女性会員からの相談に十分にこたえきれていないという悩みを抱えていた。私が実践しているフルコンタクト空手は実際に打撃を当てるため、むしろ個々の体力差を露呈させてしまう傾向にあり、競技試合の隆盛がそれをさらに補強しているようにも考えられる。つまり、道場の実践が「体格が弱く・小さいものが、力がある・大きいものに勝つ」ための習練ではなく自然とパワー・スピード・スタミナといった体力の養成に重きを置くようになっていく。これは「小よく大を制する」という題目で解決するほど生易しい問題ではない。なぜなら、直接打撃によってつきつけられる自己の体力的現実と向き合わなければならないからである。そのようなリアリズムのはてに「女性はどこまでいっても男性には敵わない」という言説が生じたりもする。

 

本書はこの「女性は身体的力では男性には敵わないのか?」という設問に対して、多くの女子プロレスラーへのインタビューにもとづいて回答を与えようとしている。

そして以下に要約されるように、女子プロレスラーたちは、ジェンダーとして固定された「女らしさ」を変容させていると結論づけている。

1)プロレスの世界で規範化された身体(筋肉・脂肪が十分につき、受け身が取れて技の攻防が繰り出せる)を目指しそのような身体を獲得することにより、「華奢で小さい」というジェンダー的女性身体を相対化している。

2)それによる影響として、物理的に女性サイズの衣服を身に着けにくくなることからジェンダー的かわいらいさを規範化した着衣にこだわらなくなり、男性物の衣服をはじめから着るようになるし、そのことに引け目を感じない。

3)夜道を一人で歩くことの恐怖がなくなったという証言が示す通り、また自らの身体的優位性を活かして痴漢撃退を実践していたりと、女子プロレスラーへと変容することによって身体的な自信を獲得している。

 

私が本書を通じて眼から鱗が落ちるような思いをしたのは、特に上記1)の観点である。

「女性は身体的力では男性には敵わないのか?」という、私自身も嵌まり込んでいた自問自答への答えは、女性による自己防衛の可能性もさることながら、本質的にいえば規範的ジェンダーを変容させうるという、より大きな可能性の示唆にこそ、あった。

「女らしさ・かわいらしさ・ジェンダー的美しさ・・・」これらがいかに社会的に規範化され、「こうであらねばならない」という圧力を内面化させているか。また男性を主体とし女性を受容体とする性的分業の固定化に役立っているか。何よりも私自身一人の男性としてこれらジェンダー規範の内面化・強化に日々参加しているということ。

筆者が「まえがき」で記しているように、女性の身体の在り方は社会によって作り出された現実であり、社会によってつくられた以上、また社会によって変えることができるのである。

女子プロレスラーたちが自らの身体をもって証明しているのは、固定化されたジェンダーを破壊しうるという可能性だったのだ。

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