時空自在

タンジールから中国へ・そして帰還

書評『「革共同50年」私史』(尾形史人/社会評論社)

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 筆者は1950年生まれ、68年から中核派(本稿では革共同=革命的共産主義者同盟を通称である中核派と称す)の活動家となり、73年三里塚第二次強制測量阻止の実力闘争の容疑で指名手配、12年の地下生活の後に85年被逮捕・92年満期出所して中核派の活動に復帰したが路線を巡る確執から99年に離党、以後、癌との闘病生活を送りながら労働戦線に関わっていたが昨年8月に病没した。

 このような境涯は確かに特殊ではあるが、70年闘争に参加するまでのプロセスは、日本の戦後世代のよくある典型でもある。尾形の場合は、多くの団塊世代がやがて辿ったような高度経済成長へ巻き取られた人生ではなく、一度志した国家権力との闘いの継続を自分の人生に刻み付けただけの事だ。

 「私の70年から21世紀までの人生に記録させたものは、多くの方々の歓喜と無念の思いの数々である…万単位の精神のほとばしりの周辺には、デモ時だけ出動するか、または財政支援などをする膨大なシンパ層が存在していた。こうした多くの人々が、中核派とは何であったのか、自分の人生は何であったのか、と今日考えている。こうした方々の気持ちを、少しでも汲み取りたいと思っている」(本書序章)

 この抜粋に尾形が本書を執筆した動機が凝縮されている。となると、ありがちな団塊世代の思い出話ともとられそうだが、本書はよくある全共闘世代の回顧談とは異なる平面で展開される。全共闘運動が世界的なカウンターカルチャーの影響で自然発生して伸長したのに比して、中核派は武装闘争を目的意識的に推進してきた。だから、先述した「多くの人々の気持ち」の大半は様々な位相での武装闘争にまつわる記憶である筈だ。

 

 尾形は、今や路線転換した中核派が自らですら省みる事のないかっての武装闘争戦略を批判的に詳述していく。

 中核派の武装闘争を戦略的に位置づけたのは「先制的内戦戦略」(1976年)である。70年代安保闘争の高揚を受け、中核派内部では「軍事的行動が大衆的熱気を切り開くのでは、との戦術的判断が強まる」「(当時すでに勃発していた革マル派との内ゲバ)戦争の主要な手段は奇襲であり、ゲリラ型の組織形態をとる」「階級闘争が武装形態を軸に、内乱的に発展する時代、との大きなテーゼを発したものにとれば、革マル派との戦争は、身丈の似た敵との戦争だから大いに遂行できる」「党派間戦争で培う軍事の思想、非公然の戦術形態、組織形態は、権力に対しても役立つはずだ、日本における革命は、こうした経緯をとって前進を始めた、という確信を持つ」「それをひとつにまとめたのが…先制的内戦戦略である」。

 こうして死者100人になんなんとする内ゲバが定式化された。また、内ゲバによって成長した非公然組織の標的は、内ゲバが膠着状態に陥った80年代以降、「階級闘争は革命戦争にレベルアップした」として運輸や政治など国家の神経系統に関わる施設へのゲリラ攻撃へと変質した。

 「革マル派がいかに悪質な役割を果たしてきた」としても「こうした問題を、軍事的対応のみによって解決しようとしたのは限界があった」「革マル派は、表層的にはファシズムとの類似性があったとしても、彼らを『ファシズム』と規定できるほど巨大な存在ではない」「革マル派との戦争を…プロレタリア運動の二重の闘いとして実践するのか、即ち権力との闘争と『党派闘争』の平行推進とするのか、それとも社会主義革命の正面の扉を押し開いて、ブルジョアジーの国家権力を串刺しにする闘争として同格に位置づけるのか、この違いは大きい」

 引用が長くなったが尾形は国家権力との戦いと、運動内部の党派闘争を同列に扱うべきでないと内ゲバを批判的に振り返り、またその理論的根拠となったとして先制的内戦戦略を批判する。

 また、80年代のゲリラ戦についても「革命戦争によって政治的共鳴度を高め、支持基盤を厚くしていく、武装蜂起に賛同する多くの大衆が階級闘争に参加してくる、こうしたアイデアは結果的に見れば成功していない」「自分たちの武装闘争が大衆を覚醒させ、革共同の革命戦争に合流するという、信念にも近い思想が決定的に破綻した、という現実を突き付けられるものとなった」と否定的に振り返る。

 

 反省はさらに、戦争の根底にある暴力の問題に行きつく。尾形は、本多延嘉(革共同書記長、1975年に革マル派に殺害された)の『戦争と革命の基本問題』いわゆる本多暴力論も批判的に検討する。

 本多暴力論の骨子の中から、「社会に階級矛盾があるのに、それが暴力的に表現されていないとすれば、被支配階級が屈服しているからだ、という規定」「暴力とは、発動主体の共同性の表現であり、他の共同体との関係で発現したものだ。よって、本来暴力は人間性に満ちたものなのである」という規定を取り出し、例え暴力的発現でなくとも合法的手段での抵抗の意思表明はいくらでもある、また、例え人民の側の暴力であったとしても正当性、道義性がない限り無条件で認めることは出来ないとして、歯止めなき暴力の肯定に異議を唱える。

 

 尾形が序章の終りに記しているように、武装闘争の語り部となることは大変困難である。非公然活動の特性として、記録が殆ど残っていない。また自己防衛の観点や、係累の及ぶ他者を慮るなら、体験した出来事は「墓場まで持っていくしかない」からである。

 ましてや70年代の内ゲバや80年代のゲリラ闘争は新左翼運動の凋落の要因として歴史的な評価が定着している。その主要な当事者主体である中核派は自らの過去について正面から切開を加えてはいない。本書はそのような中での元メンバーによる数少ない理論的総括の試みである。

 先に述べたように、記録の乏しい新左翼の非公然活動はすでに多くの人に忘れられつつある。またそれらが歴史として残ることもほとんどないだろう。だが、「そこにいた全ての一人ひとり」の人生を消すことは出来ない。歴史のうねりの中で搔き消された叫びは、それを聞こうとする者には今もなお、聞こえるのである。