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タンジールから中国へ・そして帰還

『性暴力の理解と治療教育』ノート

f:id:jikujizai:20180127190143j:plain(藤岡淳子著/誠信書房

今回記すのは書評ではなく、表題の書についてのただのノートだ。

性犯罪加害者の再教育を担ってきた筆者が本書にまとめた「性犯罪」「性犯罪加害者」の捉え方を私なりに拾い出した。

「書評」でなく「ノート」だと断ったのは、後述する筆者の「性犯罪」観が、男性社会が営々と創り上げてきた「性」の常識を覆すものであり、だから、まともに向き合うには大きなエネルギーを必要とするからだ。

今の私には本書の提起を「評論」する器はもとより無い。以下に本書の論点を祖述するにとどめる。

問題提起

性犯罪への世間の誤解を正す。誤解とは、

①性犯罪を性欲の発現としてしか捉えない。

②厳罰の要求はあっても教育更生の必要性や方法論を理解しようとしない。

 

回答

①性犯罪は「性欲の発現」でなく、支配欲求・承認欲求にもとづくものであり、その動機は心理的である。

②性犯罪者は厳罰・隔離すべきでなく、教育・更生すべきで、それは可能である。

また、性犯罪者の多くは被虐待者である。

③性犯罪者である事を克服することは出来ない。性暴力は反復される。しかしそれを行動ベースで克服することは出来る。行動での克服とは自らのスリップに気づき自己規制することである。

 

補記

性犯罪者は「常に」自らの犯罪を自己合理化する。また、性犯罪者は犯罪行為の習慣化を認めない。

逆にその事を認め始めた時、はじめて改心が始まる。同様に、性犯罪者自らが被虐待者であった事への気づきも重要である。

 

所感

以上、ごく簡単に本書の論点を拾い書きした。

本書では「スリップ」という言葉がしばしば表れる。心理学でいう逸脱行動だが、性犯罪者の事例でいうとそれは特有の性的指向にまつわる妄想を指すようだ。

スリップは妄想から始まる。自慰する時の妄想の内容すらその人間の認知を形成するという訳で、性暴力・性犯罪の抑止のためには性意識の在り方を問題にせざるを得ないという事だ。

感情が思考を形成し、思考が行動を導く。性暴力行動の深淵は、男たちが性欲だと錯覚している「女という他者」への感じ方、妄想の抱き方にあり、妄想だから何をイメージしたって良いというものではないところが重要である。

私達男性の妄想の中にこそ支配欲求、暴力欲求の根源が潜んでいるというべきなのだ。それらは、物心ついた時から「男らしくあれ」という抑圧により繰り返し繰り返し私達の深層に刷り込まれてきただけに、克服するのは簡単ではない。

男女差別が人間にとって最大の、そして最後の差別であるならば、男性にとって自ら「男」と批判的に向き合うことは必須であると私は考える。またそのベクトルは私自身に最も強く向けられなければならない。ただし、それは言うほど簡単ではない。

興味を持たれた方、特に男性はぜひ本書を一読されたい。