時空自在

タンジールから中国へ・そして帰還

安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから

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私は「安らかにお眠りください。過ちは繰り返しませぬから」という原爆慰霊碑に刻まれた言葉は、被爆国国民としても、一人の人間としても尊いものだと思う。 かって慰霊碑の正面に立った時は感動で身体が震えたものだ。人類の共通の財産とはこういう事なんだろうなと沁みじみ思った。

 

Never again ? Ever more again and again and again

これはグータ攻略激化の中で英語圏の誰かが SNSで発信した言葉だ。

「二度と繰り返しませぬ? 繰り返してるじゃないか。これからも繰り返すじゃないか」

天安門で、ユーゴで、ルワンダで…。 ヒロシマアウシュビッツは繰り返された。

 

「過ちは繰り返しませぬから」は今やシリアで繰り返されている。 にも関わらず多くの「繰り返さない」筈の日本人の中でシリアの虐殺に関心をよせる人は少ない。 シリアの政治が複雑で理解しにくいかもしれない。公式報道が少なすぎるかもしれない。 それにしても…。

 

「繰り返しませぬ」の基盤は犠牲者の血で贖われた体験と記憶だが、体験も記憶も風化した時、血肉なき概念だけが残る。 語弊を恐れず言えば、日本人の平和意識は風化して欺瞞が蔓延っている。改憲や集団自衛権行使に反対して政治を論じる人はいなくはないが、人道危機を訴える人があまりに少ない。

 

人道危機というのはルワンダやユーゴの内戦に際して良く使われた言葉だ。民族や宗教の対立など政治状況が複雑で、政治党派の行動が正義とかけ離れていても、天から与えられた権利として人権は守らなければならないという考え方である。そして人道危機にあたっては国際社会が協力して解決しなければならない。

 

米軍機が青森の湖に燃料タンクを落とした事に大騒ぎする人がなぜ、同じ時間にシリアで独裁者が市民にミサイルを雨のように降らせていることを批判しないのか?

「繰り返しませぬ」?

繰り返しているじゃないか。

今、起きているじゃないか。

「繰り返しませぬ」ためにいつ何をどうするつもりなんだろか?

 

もとより私は直接の戦争体験者ではない。 だが数年間シリア内戦の現地の人々の情報発信に接してつくづく思うのは、戦争っていうのは昔も今も全く変わらないよな、という事だ。 日本軍の三光作戦とアサドの都市封鎖は似ている。B29の市街地盲爆とロシアによる無差別爆撃は似ている。

 

そこに通底するものが戦争の本質ではないのか?

なぜ日本軍が中国の村で行った事とアメリカ軍がベトナムの村で行った事が酷似するのだろうか? なぜ現代においても市民への無差別爆撃が戦略の要となるのだろうか?

戦争の本質とは何だろうか?

 

戦争の本質とは何か? 性急な答を出さなくてもいいが、わかっている事がある。 軍事(暴力)が政治(人治)を凌駕している状態である。

 

「戦争とは別の手段を持ってする政治の延長である」とは有名なクラウゼウィッツによる戦争の定義だが、同時に私達が見なければならないのは「軍事もまた政治を左右る」という事である。 そして現実は、人々がよくなる事が目的である筈の政治を、手段である軍事が蹂躙する事例が後を絶たないのだ。

 

戦争では一度始まれば軍事力学が政治を圧倒し出す事が往々にしてある。 だからホロコーストが繰り返し再現されるのだ。 シリアで今起きている事は、戦争犯罪者でありシリアに大きな人道危機をもたらしている当事者としてアサドとその支援者を糾弾しないならはまた別の形を纏って地球のどこかで再現されるだろう。