時空自在

タンジールから中国へ・そして帰還

私的・情報の読み方

いわゆる「投射型思考」の問題

 「投射型思考」

  ぐぐっても出てこないが私の造語ではない。黒田寛一の造語である。どういうことか? 人間はある思い込みが形成されると、その思い込みを現実に当てはめようとする。事実から出発して思考するのでなく、観念から出発して思考するようになる。観念の現実への投射を「投射型思考」というのだが、それだけだったら否定すべき事ではない。世界の実体といえる自然的事実が存在するのかどうかは古代から哲学のテーマであり、現代に至っても決着はしていないからだ。

 むしろ、哲学は実体よりも観念や解釈に重きを置く方向で発達してきた(と私は思いたい)。ただし、すぐお気づきのように、事実を無視した観念や解釈は限りなく創作に近く、創作に近いものを「ニュース」「報道」「ジャーナリズム」と呼ぶことは出来ない。

 

 事実は透明である。

 

 しかし人間は透明なものに色をつけずにいられない。

 

 それが「解釈」「観念」あるいは「洗脳」である。

 

 私はジャーナリストではないので自ら「ニュース」を発信しようとは毛頭思わない。ただし世界の出来事にコミットしたいという気持ちは強く持っている。特にここ数年シリア内戦に心を動かされ、主にSNSのフィールドでいわゆる「情報」を「発信」したり「拡散」したり「議論」したりしてきた。特に主義主張があるわけではなく、単純に現地発信の「響く言葉」に憑き動かされてきただけだ。

 それでも、現在進行形の戦争へのコミットメントなので、私が発信することが創作であってはならない。ということは、現実へのコミットメントにあたっては投射型思考を排斥しなければならない。前置きが長くなったが、「フェイク」を掴まされないっための私論が本稿のテーマである。

 

「リベラル」が独裁者を擁護するパラドクス

 そこで気になることがある。私はシリア内戦についてはアサド政府に批判的である。これにはまた理由があるが、本稿は政治がテーマではないので深入りしない。日本でアサド政府を自覚的に批判する人は少ない。なぜかといえば情報量が圧倒的に少ないからで、反政府派もいなければ政府擁護もいないというのが実情だろう。そんな中でもツイッターでは、内戦が悲劇的様相を深めるにつれ、関心を持つ人が増えてきた。

 そのような人の中でアサドに批判的になる人が少なからず、いわゆる「リベラル」「護憲」といった日本の政治の色にあんまり染まっていない事も注目すべきところだ。

 逆にアサド擁護派もいる。とても興味深いのは、アサド擁護をコアに主張する人たちのほとんどは、日本の政治の色分けでいうと「リベラル」「反安部」「護憲」「左」という人たちである。護憲派が独裁政治を擁護するというのはなかなか理解じがたいが、これにも理由がある。繰り返すが本稿は政治がテーマではないのでそこにも深く立ち入らない。

 ただし、思考マターでいうと、リベラルが独裁を擁護するというのは典型的な投射型思考だということだ。非常にシンプルなロジックを自らの思考に強固に組み付けてしまい、そのロジックから現実を解釈する。21世紀最悪といってもよい内戦の一方的な加害者である独裁者を、「戦争反対」を唱える人が擁護してしまうのはつまりそういう事だ。古い言葉だが「ソ連の核は良い核だ」という言葉が昔の反核運動で公然と言われた。それと同じ事である。

 

いわゆる「誤訳」の問題

 前段を引き継いで何を言いたいかというと、現実へのコミットメントにおいて投射型思考は許されないということである。私自身が、またアサドに批判的な人たちが、同じように自らの脳内のフレームで現実を切り刻む事をしてはならないという事だ。

 そこでちょっと気になることがある。

 シリアの現地情報は極めて稀な例外を除いてアラビア語かフランス語か英語で発信される。私がアラビア語が出来ればいのだが、かろうじて英語の字面を追いのが関の山で、依拠するのは英語が出来るシリア人が発信している情報である。それでもそこに肉声があり、響く言葉があったから私はシリアを追い続けた。そして日本でシリアのアサドに批判的な人に心を寄せる人もまた多くが英語情報に依拠している。

 で、現地ツイートを和訳する人が増えているのは嬉しい一方、皆さん誤訳が少なくない。ネイティブの英語じゃないから? それは違う。シリアで英語を使う人はエリートなので、アメリカ人のグダグダした英語よりよっぽど教科書的でわかりやすい。で、誤訳すると文脈が違ってくる。

 これは良くない。

 一例をいうと「No less than 485,000 People Displaced from the Suburbs of Hama, Idlib, and Aleppo 」というツイートがある。直訳すれば「48万5千人を下らない人がハマー、イドリブ、アレッポから住む場所を失った」なんですが状況的にその地域でいきなり48万人もの人が難民化することが考えにくい。ツイートのリンク先をたどると原文は485,00と記されています。一桁違うし、桁区切りが違う。その時点でこの情報の信頼性は失われます。でもこうしたことがそのまま日本語になって追認されていることがまぁまぁある。そうなってしまうと、反政府派の情報発進もアサド擁護派のプロパガンダと大差なことになってしまう。

 

情報の文脈を把握する

 ではミスリードを避けるためにどうすればいいのか? 私は報道を職業としていませんので「両論併記」とか「裏を取れ」とか、そういったことはどうでもいいです。でも、「現実」には立脚したい。ウソは言いたくない。

 でも「裏を取る」ことなんて出来ない。シリアは地球の裏側だし、私は平凡な会社員で毎日仕事してるし。

 事実の確認は無理だ。誰かやって欲しい、切実に。でもおそらく日本のジャーナリズムに期待できない、残念ながら。

 出来ることは二つ。

 一つは文脈を読むこと。前後関係からいってありえないものを排除すること。48万人の移動に一体バスが何台必要なのか? 誰がそれを手配するのか? 結論、ありえない事を判断できること。

 もう一つは…

 

 響く言葉。

 

 届く言葉。

 

 それ以外いいようがないんだけれども。でも、泣いている人が書いている文は「あぁこの人は泣きながらこれを書いているんだな」とわかる。

 私がシリア内戦に関心を持つようになったのは現地の人の泣きながら(としか思えない)ツイートの数々に触発されたからに他ならない。

 

 だから私も、無力ながら…届く言葉で…応えたい。