時空自在

タンジールから中国へ・そして帰還

アメリカの軍事介入はシリアを地獄から救うか?

アメリカがいよいよアサド政府へ攻撃を開始する見通しです。この攻撃は去年4月にそうだったように軍事基地をピンポイントで狙った限定的なもので終るでしょうか。それとも、レッドラインを越えたアサド体制を崩壊に追い込むほどの、新たな戦争と呼べる規模のものになるでしょうか。

 私は本稿で情勢分析がしたいわけではありません。内戦八年目にしてこの世の地獄と呼べる様相を呈してきたシリアからの情報に日々接していて、自分自身の精神的安定すら危機にさらされかねない中で、同じようにシリアの惨状に心を痛めている皆さんに徒然なる思いを伝えたいだけです。

 

 アメリカの介入は、シリアを地獄から救うでしょうか?

 

 一体、正義とは何でしょうか?

 化学兵器を用いること、それによって市民を多数殺すこと、秘密警察が跋扈し、反政府的な人物を収容所で拷問し、虐殺すること。生まれた街を愛するために反政府派のもとで居住する市民から流通や移動の自由を奪い、一方的な軍事力で街を廃墟にし、市民多数を殺すこと。言うまでもなくこれらは悪です。

 では公然と行使される巨悪を止めるために何が出来るでしょうか?

 軍事力に対抗して軍事力を行使すること。意外に思われるかもしれませんが私はその事一般を否定しません。かってのわが国やナチスのように、許容量を超えた権力が行使してはならない軍事力を行使するとき、やむをえず軍事で対抗する、そのような事は今後の歴史でもありうるでしょう。犯されそうな尊厳を守るための努力の一つとして、不義の暴力に実力で抵抗することは近代の法理念の根本であるとも考えます。

 

 アサドの暴力は、このような許容範囲を超えた不正義であることも異を唱えません。シリア革命が内戦へと至っていったのは、シリア軍の分裂もありますが内外の世論を無視して退陣を拒んだ大統領が反政府勢力を鎮圧するオプションしかとらなかったためだし、ISやヌスラの台頭でイスラム過激派の影響ばかり喧伝されましたが紛争の最も根源にあるのは市民革命・市民戦争だと考えます。反政府勢力はかっての影響力を大きく減少させていますがその最大の要因はロシアの全面的な介入と、それによって際限なく可能となった抵抗都市への無差別爆撃なのであって、ダラヤ、アレッポグータと都市封鎖から続く全面攻略がどれだけ悲劇的なものであったかは今さら繰り返すまでもないでしょう。

 

 これら圧倒的な暴力に抵抗するための実力行使は正義であるとさえいえます。法的に言うと正当防衛や抵抗権の範疇であるからです。私はシリア内戦の中で、市民の巻き添え死やボランティアの献身以外にも、反政府勢力の闘争にも共感を抱くことが少なからずありました。近代以降、警察権や自衛権など社会秩序を守るための暴力は国家が独占しているのが実情ですが、国家が不当な暴力を行使するならそれに対抗することはやぶさかではないと考えます。私は非暴力主義者ではないのです。オブラートにくるまずに言えば、それが本当に必要な場面では暴力も必要であるとすら考えています。

 

 前置きが長くなりました。 

 

 ここで冒頭の問いに戻ります。

 

 アメリカの介入は、シリアを地獄から救うでしょうか?

 

 長い前置きを書いたのは、私の関心が正義の所在にあるからです。アメリカの介入は正義でしょうか?

 反体制地域の多くの人々は都市封鎖、空爆化学兵器に苦しめられ、侵攻したアサド軍に恭順を誓った人々ですら処刑されたり徴兵されたりしている。アサドが言論でどうにかなるものでもない。誰かがアサドを止めなければならないとしたら、シリアへの軍事攻撃という今回のアメリカの決定は正しいと言えるでしょうか?

 私は悲観的です。もし戦時法というものが遵守されるなら攻撃は軍事施設、戦闘員に限定したものでなければならない。昨年のハーンシャイフーンへのアサド政府によるサリン攻撃の後、アメリカは政府の空軍基地にミサイルを撃ち込みました。結果、何かが変わったかというと何も変わらなかった。警戒を高めている軍事基地を限定的に攻撃したところで、大きな打撃があるわけではないのです。アサドを退陣に追い込むような実力行使があるとすれば、イラク戦争のようなシリア全土を対象とするような戦略攻撃をせざるをえない。私達の歴史は教えてくれる。太平洋戦争末期、B29は当初軍事施設への精密爆撃を行っていた。それでは日本の国力を壊滅させることは出来なかったので司令官が更迭され、あの焦土作戦へと変更された。

 もし今回のアメリカの攻撃が限定的なものであるならばそれは政治的なショーと大差はなく、アサド・ロシアの暴虐を止める事は出来ないでしょう。もしアサド体制の解体を狙うなら政府側支配地域に住む市民の多数が巻き添えになって死ぬような凄惨な闘いになるでしょう。

 対アサドではありませんが直近のシリアではラッカをISから「解放」するために米軍主導の大規模な空爆が実施され市民多数が死亡しました。また北部アフリンを「クルド人テロリスト」から「「解放」するためトルコ軍の空爆が実施され、ここでも多くの市民が亡くなりました。相対的な規模でいえばアサドのやっている事よりも小さいとはいえ、ある権力が別の権力を駆逐しようとする時に起こる事は同じです。ここまで来ると、発端は正義の戦争であったものが、プロセスを間違えると不正義に転化すると言わざるをえない。中国を侵略した日本は不正義だが、東京大空襲ヒロシマナガサキを「アメリカの正義」とは言えない事を私達は知りすぎている。

 

 ここには、国連安保理の機能不全という問題もあります。かって曲がりなりにも機能していた紛争地域の停戦監視や文民政府への移管ということがロシアの存在で全くできずにいるからです。過去、新聞の国際面を賑わせた平和維持活動という言葉は死語になりつつあります。

 それでも私は国際社会という実に漠然とした実体のないものの良心によってしかシリア内戦は解決されていかないと考えています。一時期トルコが提案していたような、シリア北部を国内難民のための安全地帯にする構想はどうなったのでしょうか? ヒラリーが提唱していたノーフライゾーンはどうなってしまったのでしょうか? ロシアの抵抗の中で実現が難しいのはわかりますが、国際社会が優先的にすべきことは非武装緩衝地帯をつくったり、飛行禁止区域を設けることであって、軍事行動ではないはずです。

 

 アメリカの攻撃が開始される前にこれらの想いをまとめようと居ても立ってもいられない気持ちで書いたので、粗い論調になってしまいました。

心ある人たちとシェアできれば幸いです。