時空自在

タンジールから中国へ・そして帰還

平成最後の夏に(奇妙な果実)

8月も終わろうとしている。

 

今年の夏は暑かったですね。

 

きっと、「災害級の暑さ」として記憶される2018年の夏だが、私は太陽に焼かれながら晴天の青さに歓喜していました。

 

そういえば今年は「平成最後の夏」だ。来年の皇室代替わりに向けて、世間では「平成最後」というキャッチフレーズがますます流行していくだろう。

 

年号の区切りごとに時代を振り返るのは私のガラではない。年号に関係なく私達は生きて、歳をとっていくからだ。それに、時代の記憶というものほど曖昧なものはない。歴史というのは常に事実という瞬間の後からつくられるもので、どんなに事実に忠実であろうとしても作り手(語り部)の主観が反映されてしまうからだ。

 

例えば、「過去、日本は侵略戦争をした。日本国民は言論の自由が奪われた中で、無理やり戦争に動員された。その結果、戦争をやりたくなかった多くの国民が死んだ」というような歴史観があるでしょう。そこには一面の真実があるが、多くのこじつけがある。少なくない記録が、国民自ら率先して戦争を支えていった事を証言している。

ではなぜ「過去、日本は侵略戦争をした。日本国民は言論の自由が奪われていたとはいえ、国策に疑問を持たずむしろ積極的に支持した。多くの日本国民の選択は国内外の人々に膨大な人的被害をもたらした」と語らないのだろうか? 

それは記録や証言の細部を拾いきれていないという問題なのだろうか? 

もちろんそういう問題もあるだろう。

でも、もっと大きな問題は歴史の「語り部」の思い込み、その在り様なのではないだろうか? 

「(戦争は)軍部が悪かった」と済ませる事によって、本当は個人にもっと重くのしかからなければいけなかった加害性や敗北の総括をないがしろにしてきたのではないだろうか。

 

私は、そういうふうに時代を振り返りたくない。

 

最近、家で酒を飲む事を控えている。

私の生は、確実に死に向かって進んでいる。この一秒、この一瞬。痛飲癖は社会生活の過度なストレスを言い訳にした長年の習慣だった。でも、酩酊している間に時間はあっという間に過ぎていく。死に向かって、確実に。

「明晰でありたい」というほど私は優秀ではないが、少なくとも素面でいたい。人はどんなにつまらない人間であっても、生きて、その人の行動や言葉とともに、多少なりとも人々の記憶に何かを残していく。誰もが、この世に生を受けた以上は証言者であろう。

「狂った時代」と或る人々は言う。

だから、せめて素面でいられる時間を増やしたい。

狂気の渦の中で、生が終わるまで眼を開けているだけでよい。でも、もし許されるなら、そこに少しだけ言葉を挟ませてください。

 

きっとこれから半年間、「平成時代の振り返り」がマスコミやネットで流通するのです。

私の書くことに特別な事は何もない筈だが、「昭和の終焉」と「平成の終焉」に跨って生きてきた者として、いろいろな事件事象が社会意識とどのように絡んできたのかを吐き出してみたいと思った。

一つの時代の終りを、センチメンタルだけで振り返るのが嫌だ。まして、「狂った時代」に、自分だけ狂っていないように偽装するのが嫌だ。

ある語り手が社会意識にメスを入れるとき、そのメスが自分にも向けられていないとしたら、どうしてその語り手を信用する事が出来るだろうか?

だから、今から書くことは、ある事は「それが出来てよかった事」として、ある事は「これを見過ごしてしまった過ち」として振り返るだろう。または、「あの人のあれは良かったね」「あいつのあれはおかしいんじゃないの?」「あの時僕は間違っていた」として振り返るだろう。

かといって、自分史に引きつけすぎた事、例えば会社員としての経歴とか、習作を何本か書いたとか、空手指導の事とかそういう事を露出したいわけではない。

 

「どんなに時代が変わっても、魂の流行はない」という言葉がある。

 

私が愛してやまない人から教わった、愛してやまない言葉だ。

でも、その言葉を時に忘れるほど、私の魂はあちこちにぶつかり、転がってきた。

だから、時代にもて遊ばれて何度も難破しかかってきた感覚や思考や罪を社会意識の変遷という脈絡の中でとらえ返していきたい。

 

ここまで書いたところで時間切れです。

 

(続く)