時空自在

タンジールから中国へ・そして帰還

正拳

空手修行者の座右の銘として「握り方三年・立ち方三年・突き方三年」という言葉がある。

最も基本的な事を極めるのにこそ長い年月がかかる事を示唆した諌言だ。

これは、空手を始めて間もない者にとって、時として壁の様に立ちはだかる、空手習得の過程が厳しい事を感じさせる言葉である。 なぜなら、多くの空手入門者は、組手に勝つことや、上級者向けの、多彩な技が織り込まれた複雑な型を早く身につけたい、すぐ結果が出る事をやりたいと願うからだ。

 

修行の道は恋慕に似て、想いが激しければ激しいほど理想に辿り着くのは遠い。

 

私自身も、握り方、立ち方、突き方といった基本中の基本の重要性に気づくいたのは、修行年数をかなり重ねて後のことだった。

一つのきっかけは、試合に向けた稽古中に拳を痛めた経験である。立ち木に縛り付けたビッグミットに右の突きをフォロースルーを思い切り効かせて叩き込んだところ、拳に激痛が走った。以後、突きのインパクトの瞬間の僅かな衝撃でも激しい痛みを感じるようになった。腫れてはいなかったので骨に異常はなかっただろう。ただ、この打撲の痛みは三か月ほど後を引き、肝心の試合本番で苦し紛れに肘を繰り出したが「押し」と見なされ反則を取られて負けた。

もともと私は握りが甘かったようで、このように突きを当てられなくなるほどの故障でなくても、少し強めの組手をすると親指の付け根が痛くなることが半ば慢性化していた。そうしたことを「空手をやっている以上当たり前だ」と諦念していた。そして、いつの間にか拳にグルグルとテーピングを巻くことが当たり前になっていた。

だが、素手で組手をやっても拳を痛めない人はいる。私の先生などは素手でかなり激しい組手を行っても私の様に拳を痛めることがない。何が違うのかといえば、やはり握り方が違うのだ。

では、何が違うのだろう。先生に聞いても、何か特別な事をやっているわけではないとの事だった。結局思い至ったのは、私が基本の握り方を怠っていたということだ。

振り返ってみると、恥ずかしい話だが、長い空手修行の中でそれまで握り方を特別に意識したことがなかった。いわゆるグーを握るだけなら幼児でもできる。単にグーを握った状態と、正しい空手の拳の握り方が実は違うものであることにやっと気が付いたのだ。

正拳の作り方は実は極真の準備運動の中でも入っていて、それをきちんと守っていれば自ずと正しい握りになるのだが、一方でその準備運動ではどのように指を畳むかという点まで言葉で指示を与えていないこともあり、結論、ただグーを握るだけになっていた。そういう人は多いかもしれない。

 

正しい握り方とは、どのような握り方か。

今はインターネットの時代なので、ネット検索すれば実に様々な情報がある。正拳の作り方についても同様で、以下にあげる方法よりも細かい指示を与えているものもある。もちろんそれらが間違っているなどという事は出来ない。私自身も未だ修行の途上にあり、今後新たな気づきがおこる可能性もある。とりあえず、現時点で私が得心している握り方を紹介するに留めたい。

下の写真を順に追っていく。

①掌を開いた状態から、小指から順に折りたたんでいく。

②折りたたんだ指の先を、手相でいう感情線に沿わせていく。

③握った際に、赤い丸の部分は若干隙間をつくるようにする。

➃側面から見ると、手首と拳の背面が一直線になるようにする。

指を折りたたむ順番については人差し指から握る流派もあるようであり、どちらが正しいのか現在の私に判断はつかない。

ただ、少なくとも②③④は厳守すべきである。指を深く握りこみすぎないことで③のような隙間が出来、これがショックアブソーバーとなって強打のインパクトを吸収できる。また、➃のように握りと手首を一直線にすることでインパクトの瞬間に手首が曲がって痛めることを避ける。

言われてみればそんなことかと思う人も多いだろう。また、この手順自体は難しくないので時間をかければ初心者でも出来る。ではなぜ「握り方三年」なのか。

まず、手順を覚えたからといって一瞬でこのように拳を作れるわけではない。やってみるとわかるが、ゆっくり握りこむ分には誰でも出来ても、掌を開いた状態や、握っていても脱力した状態(組手では肩の力を抜くためにそうすること多い)からパッとこの形をつくるのは熟練しないと出来ない。

そして、熟練と一言でいってもそこに至るまでは何千回、何万回の反復が必要なのだ。そこまでやって初めて、バスンと打ち込んだ時の「これだ」という感触を得ることが出来る。かくいう私も、これまでのただのグーパンチから比べれば進歩したし、テーピングに頼らなくもなったが、まだまだである。

また、何万回も打ち込む中で、ひょっとしたら違う気づきを得るかもしれない。

 

「握り方三年」

 

深く、遠い道のりを焦がれて進む。

 

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