時空自在

タンジールから中国へ・そして帰還

平成の終り②

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(承前)

 

【日本の経済的地位の相対的低下】

 

 日本のGDPが中国に抜かれたのは2010年。現在では中国のGDPは日本の約2倍である。2050年には中国のGDPアメリカを抜いて世界最大となり、日本の約7倍になっているといわれる。

 また、1980年代~90年代にかけて世界5位以内だった一人あたりGDPは2017年には25位にまで凋落した。

 

 私が10代後半から20代前半を過ごした80年代に日本は一億総中流社会といわれ、ほぼ全ての社会的成員がある水準以上の物質的豊かさを享受し、一度昇りつめた豊かさのステージからは二度と滑り落ちることがないような錯覚を与えた。

 

大多数の人々はその豊かさを受け入れ、私のような捻くれ者だけが物質を与えられ緩慢な死に至るだけの閉塞した人生観を忌み嫌っていた。物質的豊かさとは、一種の緩慢な死なのだ、一部の神経衰弱な人間たちにとっては。

 

ところが、バブル崩壊後の不良債権問題の時期に「失われた10年」といわれていたものが、その後起こったデフレスパイラルといわれる物価下落と賃金下降の悪循環を克服することが出来ず、10年は20年となり、今や「失われた30年」となった。つまり、平成の30年はそのまま日本の経済的地位が凋落していった30年だった。

 

 失われた30年の要因はなんだったのか? 様々な議論があるが正直いってよくわからないというのが本当のところだろう。

これはおそらく経済学者にとっても同じことで、「聖域なき構造改革」だとか「アベノミクス」という、平成を駆け抜けた目玉の経済政策は、全て失敗だったと言わないまでも以下にあげるような日本経済(社会)の長期的傾向を阻止する事は出来なかったし、きっと今後もそうなのだ。

 

分析ではなく、おこった事実として日本経済(社会)の長期的傾向を下記3点にまとめてみる。これらは、30年間に起こった地殻変動と言ってよい。

 

  • 格差拡大

貧富の格差の指標とされるジニ係数は高ければ高いほどその社会の経済的格差が大きいとされ、0.4を超えるとその社会は暴動が起きやすくなると言われている。

日本のジニ係数は2016年厚生労働省発表で0.5704だった。1980年代から日本のジニ係数は増大傾向にあり、国際比較でいうとOECD諸国で下から4番目である。

粗雑な議論にならないよう付言しておくと、0.5704というのは社会保障などの所得再分配前の値であり、再分配後(税金や年金を社会保障費として各階層に分配後)のジニ係数は0.3759となり、かろうじて暴動発生ラインを下回る。つまり社会保障によって貧富の格差を食い止めているわけだが、再分配前のジニ係数が増大していっているため、産業や生産の在り方の中で格差が拡大しているのは間違いない。

さらに、日本の再分配の在り方については高齢化という側面も大きなファクターとなっている。人口の多数を占める高齢者への年金や社会保障の支出が大きい一方で、若年層への再配分は極めて貧弱である。すでに生産をやめた世代への再分配が厚いため、再分配後のジニ係数を押し下げているのだが、勤労者層への再分配が薄いため、社会を支えるべき若年層の中で格差拡大の実感が深まっているのだ。これは次回書く人口減少の要因となっている。

 

  • 一人当たりGDPの相対的下落

格差拡大というのは日本国内の内部現象であるが、GDPの減少は国際比較における日本の経済的規模縮小の指標というか、一つの目安である。2000年まで世界最高水準だった日本の一人当たりGDPは、2010年で18位、2017年では25位にまで下落した。

日本人の可処分所得も1997年をピークに下落を続け、現在は1980年以前の水準に逆戻りしている。これは当然の事ながら日本人の実収入の減少と、社会保障費など非消費支出の増大が原因である。

つまり平成30年間にわたって日本社会は生産性を下げ続けてきたという事だ。ただ、その理由が何なのか、経済学者の書いているものを読んでもさっぱり見えてこない。

規制緩和財政出動といった戦後よく取られてきた経済政策をもっても、一向に改善の兆しがない。

 

それはなぜなのだろうか? 

 

考えていくと、30年間の地殻変動を素直に直視しているとは思えず、その時々の問題に対して一見専門的な処方をするのだが、そのことごとくが場当たり的で対処療法的なものにすぎなかったのではないか? という仮説に行きつく。

 

すなわち日本経済の地殻変動というのは、2011年にはじまった貿易赤字への転落である。ちょっと待てその後日本は貿易黒字を回復したではないかという意見があるかもしれない。ただ、貿易黒字を回復させるためにとった手段は、それこそが対処療法的で、産業の構造的変革をもたらすものではないのである。

円高誘導による為替操作によって一時的な貿易黒字がもたらされたかもしれないが、国内産業の実力が向上したわけではない。むしろ、かって輸出の花形だった製造業は、多くがイノベーションに乗り遅れ、中韓に差をつけられているというのは誰もが認知するところではないだろうか。

 

以上3点はこの社会の経済の、30年の間の傾向の祖述でしかない。

 

 「加工貿易立国」という言葉がある。私達の世代が多分小学校高学年か中学校の初等の頃に社会科の授業で教わった言葉だ。海外から原料を輸入し、国内で国内製品に仕立て上げ、製品を再び海外へ輸出するというモデルである。昭和後期の日本はこのモデルをどハマリさせて、世界経済の第2位へ昇りつめていった。

 言うまでもなく、加工貿易立国は現在では崩壊している。「産業空洞化」が言われだしたのがやはり約30年前である。日本の製造業が中国に雪崩をうつように進出していったのは90年代だが、中国の改革・開放経済路線がそれを可能にし、もたらされた莫大な外貨が中国経済を一気に押し上げていったのは皮肉というしかない。

 

 産業空洞化の対策はあるだろうか?

 

 経済専門家が言うのは貿易の自由化と国内投資の増大であろうが、本当にそれで解決するのか?

 

 貿易の自由化は一部国内産業に恩恵をもたらすが、一方で中国を始めとする経済的に伸び盛りの国との競争の激化をもたらす。

 国内投資についても、東京オリンピックをめぐる批判が示す通り、現在の日本の財政状況では、列島改造計画のような国家・行政指導の有効需要の創出など望むべくもない。

  現状そして中期的未来の日本には、内需が拡大していく要素がなく、また国際的競争力に打ち勝っていけるイノベーションを起こす力もない。

 

 なぜなら、少子高齢化・人口減少という破局が現在進行しているからだ。

 

(続く)