時空自在

タンジールから中国へ・そして帰還

日本人の想像力(ゲルニカ・重慶・東京・シリア~大空襲の日に寄せて)

 3月10日、東京大空襲の日が近づいています。今年は75年目です。1945年3月10日未明、東京の下町の住宅地を標的に数百のB29が襲来し、密集する木造の日本家屋に焼夷弾を投下しました。一晩で10万人が主に焼死しました。罹災した人々の中には私の曾祖母もいます。曾祖母は一代で築いた自宅家屋を焼失しました。

 第二次大戦末期、日本軍を追い詰めていたアメリカは日本本土の空襲の手始めに軍事施設だけを狙い撃ちした精密爆撃を行っていました。ところが精密爆撃では日本の抵抗を弱める事が出来ず、司令官は更迭され、新たに着任したカーチス・ルメイは低空で大編隊が日本に侵入し、焼夷弾で住宅とを焼き払う無差別爆撃へと作戦を変更しました。結果、戦争終結までの半年間で日本の都市の大半は焼け野原になりました。

 

 このような無差別な戦略爆撃を始めて行ったのは枢軸国側です。始めはドイツで、実験場とされたのは1937年スペインのゲルニカでした。ゲルニカの悲劇はピカソの作品とともに人々の記憶に残り、市民が殺戮されることの悲惨を伝えています。

 無差別の戦略爆撃を史上二番目に実行したのは日本軍でした。中国に侵略した日本軍は、広大な中国の国土を地上軍では制圧することが出来ず、航空機で長距離から当時退避していた中国の臨時首都重慶を爆撃しました。重慶爆撃は通算218回実施され、特に1939年5月3日・4日の両日行われた空襲ではたった2日間で2648名が死亡しました。

 

 戦時国際法では民間人の意図的な殺害は禁止されています。いかなる国家によるものでも、市街地を無差別に標的に戦略爆撃戦争犯罪です。

 

 シリア戦争では2015年にロシアが参戦しました。ロシアは空軍力を用いて反政府勢力支配下の市街地を、第二次大戦中とは比べ物にならない命中精度をもったミサイルで攻撃しました。反政府派住民の抗戦意志を挫くため、意図的に病院や学校が狙われました。地下に避難した病院に対して、バンカーバスターが用いられました。

 また、シリア政府軍は樽爆弾を市民の頭上に大量に投下しました。樽爆弾とは、ドラム缶に爆薬と鉄片を詰め込んだだけの極めて原始的な爆弾です。これは命中精度が低いため、市街地上空にバラまかれれば市民多数が死傷するのは必至でした。

 

 このように、戦争犯罪である無差別爆撃は80年前から現在まで続けられています。軍事施設だけを標的にするという「正しい戦争」は、しばしばそうでなくなり。いつの間にか勝利を得るために、または邪悪な野心の達成のために、相手国の人口そのものを破壊する事を戦略化していきます。ホロコーストはジェノサイドとなって現在もシリアで行われています。

 

 さて、第二次大戦中の戦争犯罪者は裁かれたでしょうか?旧日本軍人、ナチズ指導者の多くが東京裁判ニュルンベルク裁判で裁かれました。ところが日本の戦争の最高責任者である天皇ヒロヒトは、日本の体制の存続のために、罪に問われる事はありませんでした。東京大空襲の司令官だったカーチス・ルメイは裁かれるどころか、戦後日本政府によって叙勲されました。

 天皇が裁かれなかった事と、戦後日本人が自分達を殺戮した張本人であるルメイを叙勲した事はどこかで繋がっているのではないでしょうか。日本を降伏させたアメリカは日本に民主主義をもたらしたが、旧体制の主権者である天皇天皇制を延命させました。日本人が自らの意志で体制を変革する事はありませんでした。

 戦後しばらくたった主に1960年代、戦後生まれの若者達が戦時中に大人だった自分達の親世代を「なぜ命がけで戦争止めなかったのか?」と批判した事がありました。親世代は「あの時はそうするしかなかった」と答えました。でも多くの伝聞は事実が違うことを伝えています。殆どの日本人は戦争を支持し、積極的に協力しました。大空襲の後ですら「家が焼かれてかえってスッキリした」とか「今日は空襲が無くて退屈ね」と庶民が語っていた事が記録に残っています。市井の人々は、命が危険に晒されている瀬戸際にあっても強い意志を保持し、楽しんでさえいたのです。

 戦争は軍部の暴走で起こった(もちろんそういう歴史の側面は否定しない)だけではなく、国民の強い支持と協力があって始めて実行できたのです。この事の深刻な反省なしに、善悪の判断を下していく事は出来ません。アジアに広く侵略していく事を当時の日本人は諸手をあげて賛同した。だから、民主主義を自分達の手で作り上げる事が出来ず、自分達の犯罪を自分達で裁くことが出来なかった。加害者が誰で被害者が誰か、事実の折々で正しく分別し、自らが加害者である場合は真剣に反省し償う、自らが被害者である場合は加害者を告発するという当たり前の事が、未だに出来ていないのです。繰り返しになりますが、日本人は天皇裕仁を自らの手で断罪できず、カーチス・ルメイに勲章を与えた。これらは、非常に示唆に富む、象徴的な出来事ではないでしょうか。そう出るがゆえに、無差別戦略爆撃や原爆の投下という明確な戦争犯罪について、その加害者を告発する事が出来ず、曖昧な被害者意識に閉じこもっているのではないでしょうか。

 

 さて、もしシリア戦争がいずれの形にであれやがて終わった時、民間人を無差別に殺傷した責任者達のアサドとプーチンは罪を問われるでしょうか? もし彼らが罪に問われないとすれば、人類は同じ過ちを繰り返し続けるのではないでしょうか? そしてこの事は遠くシリアの問題ではなく、人類全体の共通課題ではないでしょうか?