時空自在

タンジールから中国へ・そして帰還

冷笑系の起源~加藤典洋『言語表現法講義』批判

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加藤典洋『言語表現法講義』は1987年から9年間に渉る、氏の明治学院大学での講義をまとめた書である。

本稿では本書の「第六回」の、多少なりとも社会、歴史に触れた部分に限って批判的に言及する。それ以外の、文章作法について述べている本論は全て感動をもって受け止めたし、私ごときが抗えるものではない。

 

『言語表現法講義』が出版されたのは1996年である。

1996年といえば、9/11ツインタワーへのテロもまだ知らないし、東日本大震災も、福島第一原発メルトダウンも知らない。もちろんコロナのパンデミックも知らない。インターネットもまだ出始めで、ネトウヨや♯MetooといったSNS上のムーブメントも知らない。

1996年と現在では日本も世界も全く変わってしまったが、もちろん当時の加藤典洋氏は現在の世界がこうなっているだろうという事を本書の中で一言も述べていない。

文芸評論家は予言者ではないので、別にそれで構わないのだが、当時40代だった加藤氏と学生との世代間対話の試みの中に、24年前に校庭に埋められた「未来への手紙」のようなものを感じなくもない。当時の学生は今40代から50代、社会の中核を担っている筈だ(と、いうか私とほぼ同世代、ちょっと下くらい)。本書は私も知る90年代の空気の中で彼らがどのように思考形成をしたかを知る手掛かりになる。

 

結論をいえば、開封された「未来への手紙」を読んだ感想は「だからだめになったんじゃん」だった。

1990年代から日本は「失われた30年」といわれる経済的凋落を経験し、現在もその只中にある。教育水準、女性の地位、報道の自由において世界水準からどんどん取り残されていっている。経済面とともに、政治・文化的側面でも日本を先進国たらしめてると胸をはって言えるものがなくなっている。

社会的意識の質的な変化もある。「ネトウヨ」といわれるような誰でも参加しうる排外主義のムーブメントの発生。女性達によるSNSを通じたセクシャルハラスメントの告発。ジニ係数が0.4に迫る(暴動必至レベル)ほどの格差の拡大。そして人種、性的立場、格差による対立の顕在化。これらの現象は明らかに90年代とは異なり、先鋭化している。

私達は、90年代の平和と繁栄を失ったのは間違いないようだ。

本書が「未来への手紙」だとするなら、そこから凋落の要因の一端を紐解く事は不可能ではないだろう。

 

本題に入る。

主として採り上げたいのは「第六回」中の「沖縄の校外実習報告書」からのくだりである。

加藤氏の生徒が書いた感想文が実習受け入れ先の沖縄側から猛烈な批判を浴びた経緯と、それに対する加藤氏の態度である。

まずは問題となった生徒の文章を部分引用する。

ひめゆりの塔の平和記念資料館を見た。(中略)私はこの資料館の悪意が嫌なのだ。悪意と呼ぶにはあまりに失礼なら死者とその生き残りの者、その同窓生たちの怨念が嫌だったのだ。(中略)何のための資料館か。戦争を2度と繰り返さないためのもののはずだ。これじゃ自己完結してしまいそうだ。泣いている人もいた。(中略)でも私は泣きたくなかった。実際には涙が出そうになった時もあったけど、今私が泣いたら、この涙は私にとってのカタルシスにすぎない」*

 

これに沖縄側はどう反応したか。以下は、沖縄の学生の反論である。

「(前略)沖縄戦を語る証言者の多くは、自ら戦争によって被った傷をかかえながらも、戦争を許容しまったことに対する自己の姿勢を問うている。(中略)少なくとも私は、その人々が様々な思いを抱きながら沖縄戦について語る姿に接した時、『酔っているかもしれない』」とは思わないし、『悪意』や『怨念』という評価を与えるつもりもない。戦争を知らない者は、過去の戦場を想像することと同様に、それを語る人々の気持ちをも想像していかなければならないのだと思う。(中略)証言者は証言を語ることによって、まさしく、この『努力』をしているのである。そして、戦争を知らない者は証言を聞くことにより、その『努力』をしていくのではないだろうか」**

 

加藤氏はこの論争に以下の様に向き合い、自分の生徒を擁護する。

「適当な言葉がないので『生き難さ』というコトバを使いましょう。そしてその程度を比喩的に重力でタトエると、『本土』の二十歳前後の学生の重力は私から見て、0.7、沖縄の学生のそれは1.2、経験者のそれは1.7、というくらいの違いがあると感じられます。ところで、ここにはその0.7の重力の中に生きる人間が異質な世界に接し、そこから何かを受けとろうという際の、しごくまっとうな態度が示されているのではないでしょうか。(中略)

さて、沖縄の本土観の成熟の課題とは、こういう(わたしのものも含め)ふやけた意見をどう呑みこむか、という形をしているのではないか。また『本土』の沖縄観の成熟の課題も、その異質性にぶつかってなお、どうこのふやけきった(? ←引用注原文ママ)気分を自分の中に持続させるか(負けずに)ということにあるのではないか」***

「この沖縄の人の反論は、正論ですね。本土でも20年くらい前までは、こういうことが言われていました。いまは、言われなくなりましたが、しかし、この論が正論であることは動きません。そして、この反論が正論であるうえに、十分に正当であるなら、ひめゆりの塔の資料館の展示その他に、悪意、怨念を感じる、私はイヤだ、という先の感想文の趣旨は、批判されるべきだ、というのがここにある二つの論の関係です」****

「僕は、もし自分が沖縄の人間だったら、この感想文を歓迎したと思います。いや、沖縄に必ずやこの感想文をしっかり受けとめる人がいるはずだと確信して、(中略)あの感想文は、沖縄の現状へのよい感想なのではないでしょうか。そこでの戦争体験継承が、本土の場合のように、やはりやがて自己完結してしまい、先細りする可能性にいち早く警鐘を鳴らしているのですから。(中略)0.7の人間に出来ることは、1.7の世界に行っても自分が0.7の世界の人間であることを忘れないこと、0.7の人間にとどまることではないのでしょうか。それがむしろ、彼ないし彼女の0.7の感覚が変わるとして変わりうる、唯一のすじみちなのだというのが、僕の考えです」*****

「そうでないものも『告発』できる、そういうふやけきった告発の道を、探す使命が、僕たちに残されています」******

加藤氏の引用の、鉤カッコの三・四番目が氏の結論部分である。本文では、この間に〈入口(東京の学生)-出口(沖縄の学生)〉というロジックや、崖を上るのに上から垂らしたロープ(ロープを垂らすのは沖縄の学生)をつたって登るか、下からハーケンを打ち込んで(東京の学生が自分の感じ方に立脚するという事)登るのかという比喩を用いて自説を補強しているが、くだくだしければそれは略す。

 

さて、この議論についての私の考えを述べていきたい。

引用した部分に即していえば、加藤氏のロジックは2点である。

一つ目。

本土の学生、沖縄の学生、資料館の証言者それぞれには「生き難さ」の重力の差がある。前者は軽く、後者は重い。軽いものが軽い時点で感じたものは、ふやけきっているが、それは持続させなければならない。

二つ目。

戦争体験はやがて自己完結し、先細りする。かって本土がそうだった。そうならないためには、0.7であっても告発しうる、そういった、ふやけきった告発の道を探さなければならない。

 

ではこれらの何が問題なのだろうか。

論争当事者の重力を加藤氏は「生き難さ」と表現していて、この表現が読み手にすごく混乱を与えるが、平たく「存在の重さ」だとしよう。東京の学生は軽く、沖縄の学生は中間で、戦争体験者は重い、という。いかにも頭の良い人が捻りだしそうなレトリックだが、こういうのは、ただの屁理屈の可能性が高いから注意が必要で「なるほどねぇ」などと安直に頷いてはいけない。

東京の学生の感想文にはしっかりしたロジックがある。学生の感想文は「平和資料館に違和感をおぼえる。なぜなら自己完結的で、個人のカタルシスしかもたらさないからだ」と言っている。

 

これは軽くない。

ふやけきっていない。 

 

むしろ、政治的・歴史的・経済的に沖縄と隔絶した中で生きてきて覚えるであろう、それなりに根拠を持った感性だ。豊かさと安定を背景にした、(あくまで比較の上でだが)社会的強者の赤裸々な本音だ。

これは戦争の悲劇を告発するという「正論」に至る入口といえるのだろうか? そうではなくて、沖縄とは違う本土の歴史的・社会的背景の中で生まれた、全く別の立場ではないのか。

東京の学生にとって、「自己完結しておらず、自己陶酔に陥らない世界」というのは、学業だったり就職だったり、結婚、出産などの、強固な生活世界そのものではないのか。

だからこの論争に向き合うにあたってまず必要なのは、この断絶を認める事となる筈だ。

東京の学生は0.7ではないし、ふやけきってもいない。むしろ沖縄の学生の論理と全く相容れない事を確信を持って言っている。そうであれば、東京と沖縄の学生同士の立場の非和解性と、その溝の深さを認める事こそが誠実な態度といえるであろう。

 

さらにいえば加藤氏の仮説に従えば戦争体験は時系列とともに先細りしていく事になっている。かって本土がそうだったように、沖縄もそうなるのだと。この仮説は、2020年になってしまった今の視点からいえば、いろいろ示唆に富んでいる。

 

まず、本土でいえば戦争体験は先細りどころか忘れ去られているといってよい。そもそも太平洋戦争で日本と戦った国がどこかわからない大学生が出現している位で、それはそれで由々しき事だが、要するに、第二次世界大戦はもはや確実に遠い過去の歴史になった。だから修正主義論争のような、解釈をめぐる争いが起こるのだ。戦争は、少なくとも今を生きる人々にとって生きた体験ではない。

では沖縄はどうか。戦争体験自体は、生存者の方が亡くなっている事などから、90年代と違って、生きて語れる人は非常に少なくなっている。一方、反戦平和運動辺野古基地建設強行への反発が大きな力を持ち、二期に渉って基地建設反対派の知事が圧勝している事はご存知の通りだ。「告発」は「先細り」していない。

それはなぜか。本土と沖縄を水平面で捉える事が出来ないからである。本土住民は、安保体制の受益者でありながら、、その実体である在日米軍基地の97%を沖縄に押し付けている。このわかりやすい地域差別が現在も本土と沖縄の間の格差を生み出し続けている。これが解決されない限り、基地問題・平和問題は沖縄にとってずっと現在の問題で在り続ける。

 

このように、当事者間の現実の格差を無視して抵抗者(ここでは沖縄)の言説を骨抜きにしていく事は、一種のトーンポリシングではないのか。

トーンポリシングとは「発言者の議論の内容ではなく発言者の口調や論調を非難する事によって発言者の妥当性を損なう」行為である。基本的には、強者に抗議する弱者の言説(その多くは怒りを内包する)を、怒気を伴うなどの理由で毀損する事を示す。女性フェミニストと男性ジェンダーの間のやり取りで問題化する事が多いのは皆さんもよくご存知だと思う。正常性バイアスとも親和性が高い考え方で、社会の分断や危機的状況を隠蔽する役割を持つ。

トーンポリシング正常性バイアスといえば、最近では新型コロナウィルスの危険性を過小評価する言説として現れたり、原発事故後に「放射脳」「風評被害」など放射性物質の危険性を告発する人々に向けられた非難など、最近の日本でも問題性が指摘されるようになっている。

そしてこれらの言説をネット世界で担っているのが「冷笑系」と言われる人々で、社会問題の告発者を嘲笑してその影響力を減衰させるのに一役買っている。冷笑系の育った時代背景はバブル期から90年代までの、まだ日本が経済的余裕があった時代である。

その時代の中で育まれた、自分の生活世界だけを信奉する価値観は、一時期の日本社会では優勢になったが、社会の分断が進むにつれて、その存在が抑圧的なものとなっていると考えられる。

 

ここまで書いて「未来への手紙」の正体がわかったのではないだろうか。それは決して読後感の良いものではなく、その誤謬を明確にして始めて、次の足がかりが得られる類のものなのだ。

 

 

【引用元】

全て『言語表現法講義』加藤典洋著 岩波書店1996年第1刷より

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