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『日本の弓術』 全体主義の時代のオリエンタリズム

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『日本の弓術』(オイゲン・ヘリゲル著)

 戦前、日本人弓術家の薫陶を受けたドイツ人哲学者が没我の境地に至るまでを簡潔に綴った書。

 

著者ヘリゲルは戦後非ナチ化法廷で「消極的な同調者」との判決を受けている。 日本に滞在していた時、弓術を通じて感動的な禅との邂逅を果たした人物は、全体主義の時代の雰囲気の中で知らず知らずのうちに自己矛盾に陥っていたかもしれない。

ヘリゲルが日本に滞在していたのは1924年から29年。 『日本の弓術』の原型となった講演を本国で行ったのが1936年。ナチス政権獲得の3年後、三国同盟の礎となる日独防共協定が結ばれたのがこの年。 こうした時代背景を頭に入れて読む必要がある。

 

ヘリゲルの師、阿波研造範士は弓術と禅を結びつけた人で、眼を瞑りながら的を射抜くとか、暗闇の中で一の矢を的中させた後、的に刺さったままの一の矢に二の矢を的中させるなど、達人ぶりが物凄い。

禅といえば夏目漱石の『門』で描かれているように、座禅や禅問答を気の遠くなるほど繰り返しても悟りにはなかなか到達できないものだと思う。『門』の中で若僧が、悟りを開いた瞬間は身体を鉛が流れるような感覚がするのですぐわかると言う、印象的な場面がある。

このように禅の悟りとは考えて得るものではなく、極めて身体的・経験的・直観的なものなのだろう。まして弓術など武道の悟りの境地は、矢が的中するとか技が極まるとかの実践を伴うので、そこに至るまでどれほど修行が必要なのかと思うと眩暈がする。

ただ、武道修行者として、一つの境地としてそこに辿り着いてみたいという恋慕に似た思いはある。

 

ところで『日本の弓術』が結語で、仏教における沈思を武士道の死への達観と結び付け、「祖国のためにみずから進んで求める死」を称揚している事については議論の余地があるだろう。ヘリゲルはこの講演の結末近くに「かの武士道精神の根源…そのもっとも純粋な象徴は朝日の光の中に散る桜の花びらである」と述べているが、これは本居宣長の「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」からの援用であろう。

例えば江戸時代の平和期に武士道を説いた『葉隠』にしても、後世独り歩きしてしまった「武士道とは死ぬ事と見つけたり」という言葉より、その中身は処世術の書であったように、禅と武士道が何か関連があるかといえば、実はあまり関係がない。まして宣長神道復権させたイデオローグなので尚の事仏教的ではない。

「敷島」「大和」「朝日」「山桜」とは、昭和19年にフィリピンで結成された海軍第一次特攻隊の各隊の名称である。『日本の弓術』がやはり結びの近くで「現世および自己から訣別ができ、無に帰し、しかもそのためにかえって無限に充たされる」という時、昭和19年に軍の司令官が若者を死へと扇動した言葉と共通のものを見出させられる。

 

このドイツ人の一講演は当時の日本で出版され、かなり流布したという。これが日本軍人に読まれ、後の特攻隊創設のヒントになったとまで言っては言いすぎだろうが、イデオロギーとしての観念的な日本精神を補強した事は否めない。

弓道を通じて体得した沈思没我の境地が、ヘリゲルをして日本人は死を恐れぬ無私の民族性を有していると曲解せしめた。それは禅と武士道を脈絡のないまま結びつけた、一種のオリエンタリズムだといえる。