時空自在

タンジールから中国へ・そして帰還

ミニマリストの王国

「豊かさのパラドックス」という考え方がある。現代、生産力の向上に比例して人間の欲求も増大した。そして一方、物質的満足、利便性が満たされた社会では人々は精神的な欠乏感を募らせているというのである。ではこの現代社会で欠落感を満たす空間ははたして存在するのか?その答えこそ私が訪れた久賀島だ。

旧五輪教会から望む五輪港

 

人のいないところに行きたかった。久賀島は五島列島で3番目の面積ながら人口が230人。島の面積37.24k㎡は江東区の面積とほぼ同じであり、まあまあ広い。そこに住むのが230人(ちなみに江東区は54万人)とは、一体どのようなところなのだろうか。

 

久賀島に行く手段は限られている。五島列島最大の島である福江島との間を〈シーガル〉(定員30名ほどの渡し船。船底はグラスボートになっている)が3往復、フェリーが2往復。

【2025年11月18日】

シーガル

早朝羽田を発って長崎から船で福江島、夕方最終のシーガルで久賀島に渡った。福江港から久賀島の「玄関」田ノ浦まで20分。すでに初冬、波が高くモーターボートに毛が生えたくらいのシーガルは激しくピッチングする。この便には未就学児とおぼしき小さな子供が付き添いらしきおばさんとともに5人ほど乗っていた。どうやら地元の子供らしいが、なぜこの時間に親もおらずにこの船に乗っているのか?この謎はやがて解けることになる。

シーガルは田ノ浦港についた。ところが港といっても短い桟橋が1本あるだけではないか。来島者を出迎えるようなものは何もない。寒さのせいか「荒涼」という言葉が当てはまる。

田ノ浦港

そこから島の中心部の久賀まで、久賀島レンタカー(久賀島タクシーと同じ運営)のお兄さんに送ってもらう。軽自動車をレンタルしていざ民宿へ。…なのだが、民宿への直線路は道路が狭小で通行困難なので迂回した方がいいと言う。迂回といっても私の携帯の電波は微弱でGoogle mapは使えず、観光用のラフな地図では詳しい道はわからない。結局、お兄さんに先導してもらうことになった。道のりのラスト、山沿いの道から入江に面した民宿まで狭い道を急降下するのだが、急斜面のためダイブしているような錯覚にとらわれる。島の道はすべてこんな感じなのか?不安がよぎる。

黄昏の久賀湾

さて民宿〈深浦荘〉。湖のように静かな内海の久賀湾に面してポツンと一軒建っている。すでに夕暮れていて侘しい。不安を拭えないまま宿の扉を開ける。おばちゃんに迎えられ四畳半の和室へ。宿は外装も内装のキレイにリフォームされており。意外にもというと申し訳ないがとても清潔だった。夕食は厚切りの鯛の刺身、これまた厚切りの黒毛和牛(五島牛)という大変なご馳走だった。何でも宿のご主人が若い頃本土でかなり腕利きの板前だったらしい。島旅の常として、魚介の美味しさは抜群。ちょっとでも興味をもった人は、深浦荘の夕食目当てだけでいいから久賀島を訪れてみたらよい。

深浦荘の夕食

【11月19日】

翌朝、すんなり目覚めた。出がけ、宿のおばちゃんに話を聞く。民宿は「しま留学」の受け入れ先になっていて4人の小中学生がホームステイしているらしい。どうりで夜、子供たちの声が騒がしかったわけだ。遠くは北海道、長野から来ているというから驚き。

さて福浦荘と別れをつげて久賀経由五輪集落を目指す。馬蹄形の久賀湾に沿って進むと悪路にはまるのは事前情報でわかっていたのに分岐を見落として悪路を恐る恐る進むことになった。軽一台の車幅しかなく、崖側にガードレールはない。脱輪したら終わり。対向車が来ても終わり。冷や汗をかきながらどうにか久賀集落にたどりつく。

久賀湾に沿った崖路

以下、訪れた順に画像で紹介していきたい。

 

折紙神社

 

旧藤原亭(観光交流拠点センター)

島で唯一、観光客に昼食を提供している(要予約)。



旧五輪教会と五輪港

旧五輪教会へは峠の車道を登り切ったところに車を停め、山道を10分ほど徒歩で下る。山道の途中で五輪港と新旧五輪教会が望める。ここは後述する管理人さんが景観のため椿を伐採してこのような眺めになった。

 

栄健寺

観光マップにのっているが所在地の福見集落は廃屋しかなかった。お寺も入口は蜘蛛の巣で塞がれていて…。

 

牢屋の窄

明治初年の「五島崩れ」が始まった場所。明治初期の弾圧の方が江戸末期より苛烈だったらしい。ここでは子供を含む三十名以上が殉教した。



五島牛

島で成立している数少ない産業。

 

亀河原椿原生林

ここも狭い車道が途中で落石や樹木で塞がれており、車は五島牛の牛舎手前で停めて10分ほど歩く。

 

旧五輪教会では管理人さんがいろいろ話してくれた。

・島人口は公称230人だが島外のホームに入ってる人もいるのでもっと少ない。

 ・島の小学生は1人。そして県外から不登校気味の子供などをしま留学で受け入れて合わせて13名。この制度面白い。

・生き残れる産業は五島牛、海老の養殖、一つある漁船団、民宿。

・漁村は網を共同で曳くため員数4人切ると限界。旧教会がある五島集落は現在2人(ただし猫6匹)。

・島民の幼児は5名いて、福江島の保育園に通っている。昨日船で一緒だった子達はこれだった。

・奈留島から旧五輪教会へツアー客を運ぶ海上タクシーは舟の老朽化のため来年廃業。ここはぜひ行政の支援が望まれる。

・島全体が世界遺産。それを守るためには持続可能な産業の育成が望まれる。

管理人さんにもらったアケビ。甘い。

 

ところで久賀島は水耕可能(五島列島で水耕可能なのは久賀島と福江島だけ)なのになぜあれだけ人口が少ないのだろうか。最盛期4.000人だったとされる人口がここまで減少したのはどうしてだろうか。19世紀の隠れキリシタン移住以後増加した人口は1960年頃から減少に転じている。それにしても減り方が急すぎないか。

久賀島には福江島や伊豆七島のような観光地の痕跡がない。渚はあるが海水浴場になっていない。道路網は張り巡らされているが軽トラ以外は乗り入れられない道が多い。港には桟橋と無人待合所があるだけで外部の人間を受け入れる場になっていない。第一次産業を営む島民の生活圏として完結している。

そのような環境下、日本の経済成長と期を一にして次世代が流出し続けたものと思われる。現在、島は居住世帯と同じくらい廃屋があり、観光資源ですら一部は廃道をかき分けてでなければ行けない。これは数奇者の来島者には堪らない魅力だが、島はこのまま無人島になるのだろうか。

一方で「普通の観光地」になって欲しくないとも思う。島民が観光地化に興味を示さなかったおかげで島全体が奇跡のような原風景を保っている。都会人に媚びない、魂が震えるような土地のオーラを感じる。

山間部の林道はモトクロスやマウンテンバイクの愛好者には堪らないだろう。釣りスポットは無数にある。廃屋マニアは舌なめずりするだろう。そういう数奇者が島の存在に気づき、やがて島を愛するあまり移住するようになってはくれないか。あまりに自分勝手な妄想だが。

 

「豊かさのパラドクス」によれば人は物質的に豊かになればなるほど、かえって幸福度が減少するという。そう、金銭欲や物質欲は上を見ればきりがなく、常に他人との比較で不安になるからだ。

久賀島にはそのような不安がない。豊かな海。穏やかな人々。そう、ここはミニマリストの王国なのである。

 

『GB84・敗北と時代の転換』

1984年、私は高校3年生だった。『GB84』(ディヴィッド・ピース著/黒原敏行訳/文藝春秋、以下断りのない引用は同書から)で出てくるポップス…ネーナやワム、バンドエイドをリアタイで聴いていた。日本はバブル前夜の浮かれた時代で、欧米のヒットチャートを豊かさの象徴として吸収した。ワムの発祥地のイギリスで「内戦」が起きているなど夢にも思わずに。

その後、90年代~21世紀になってから制作された『ブラス!』や『リトル・ダンサー』を通じて炭鉱労働者のストライキを知るが、映画は甘く味付けされているので炭鉱ストが英国に与えた影響はやはり一知半解の域を出なかった。

 

まず、本書のタイトルとなった〈GB84〉について本文中の記述から振り返ってみたい。サッチャーによる不採算炭鉱閉鎖の決定を受けて1984年3月から全国労働者組合(NUM)によって開始されたストライキは政府との衝突姿勢を同年6月にもっとも先鋭化する。6月18日には1年間の闘争中で最大の激突となったオーグリーヴの戦い(ヨークシャー州オーグリーヴの労働者ピケ隊と警察の衝突)がおこる。著者はちょうど1年続いたストの経過を53週間に等分して叙述しているが、その第13週(上巻P184~P191)を読むならばNUMのアーサー・スカーギル委員長が強硬姿勢を強化していく状況が活写されている。

委員長は組合幹部の「ソフトに行きますか、ハードに行きますか?」という問いに対して「ハードに行く」と答えた。闘争の長期化に誰もがうんざりしていたが例外は委員長と首相だった。委員長側近は二人とも満足を知らないと思った。第13週は以下のように締めくくられる。「委員長は左右の手首をくっつけた。目に見えない手錠を掛けられている体で持ち上げた。そして言った。『グレート・ブリテン1984年』」(P191)

サッチャーフォークランド紛争(1982年)の相手国アルゼンチンが「外なる敵」ならNUMと炭鉱労働者を「内なる敵」と位置付けた。GB84は比喩でなく文字通り内戦だった。

炭鉱ストを支援したパンクバンド、ザ・クラッシュの84年12月慈善公演「スカーギルのクリスマスパーティ」のポスター

 

そして物語は敵、味方を横断する人物の多層的構成で展開される。

内戦の仕掛け人サッチャーは作中でただ「彼女」とだけ呼ばれる。他に闘争の主役だった歴史上の人物ではNUM委員長のアーサー・スカーギルと石炭公社総裁のイアン・マグレガーが敵同士で実名で登場する。それ以外の副主人公格は実在の人物をモデルとしたと思われるが仮名である。スカーギルやマグレガーが果たした歴史的役割については史実で明らかなので創作の入り込む余地が無い。著者は仮名の副主人公(スカーギル側近の組合幹部テリーと政府強硬派の黒幕「ユダヤ人(スティーヴン・スウィート)」それぞれに強いキャラクター性を持たせ作中で縦横無尽に動かす。

それ以上に効果的なのは最も強力な当事者である宰相サッチャーが代名詞だけで登場し、作中のセリフも消している(演説シーンは1か所ある)点だ。劇中効果として宰相にあえてベールを下すことで最高権力者の意思が強固なとき、それに抗うことは見えない存在と戦うくらい困難になることを感覚的に伝える。

 

組合・労働者側と政府側はそれぞれ三層に分けられ平行して物語を展開する。

第一の層は組合幹部たちと政府の黒幕「ユダヤ人」を中心とする様々な反組合活動に従事する人たち。

第二の層は反組合活動の最も過酷な現場(スト鎮圧の暴力部隊や盗聴)にいる人物。

第三の層は炭鉱労働者でピケの最前線に居続けた人物。

三層はそれぞれフォントが分かれている。

第一の層に共通しているのは刑事ディクソンなど例外を除いて石礫や警棒が飛び交うピケの現場にはいないこと。組合側、政府側ともにこの層はホテルやオフィスで謀議、会議、事務仕事やハイウェイや飛行機の移動に明け暮れている。そしてこの層はそれぞれの立場の正義を行動の動機としている。副主人公のテリーを除いて。

第二の層に共通しているのは金の必要や巻き込まれなどのきっかけで反ストの汚れ仕事を担っている。彼らには正義という動機はないが人としての欲望にまみれながら必死で生きている。

第三の層は警棒が振り下ろされ、騎馬警官が突入するピケの現場に立ちながら仕事と家族と炭鉱町を守ろうと必死になっている。そこでは炭鉱労働者のマーティンとピーターが語り部として登場する。ストのため収入を断たれながら必死で生活を成り立たせる有様、坑道へ降りる恐怖、支援の拠点となった福祉会館の模様、家族の離散や情愛が活写される。この層は黒字に白文字で印刷することで、現場の苦悩をより際立たせている。ストに従事した労働者は12万4千人(一説では13万人)にのぼったが、作者はその中からマーティンとピーターという二人の比類なき架空の人物を生み出した。本作の主人公はマーティンとピーターである。

 

労働者側が活写されているだけでなく、政府側で暗躍した人物たちの命運もノワール色濃くて読者を裏切らない。冒頭の「梗概」は一読しただけでは意味がわからないが、読了すると見事に伏線がつながりさらに想像力を高められるところも読みどころである。

 

さて炭鉱ストは組合、労働者の完敗で終わった。これを境に英国のみならず世界は急速に新自由主義へ傾斜していく。また、組合指導部は社会主義共産主義への信念で支えられていたが数年後の1989年には冷戦の終焉という形で信念が幻想だったということをつきつけられるだろう。NUMの敗北は単なる戦術上の失敗ではなく、逆戻りできない歴史のうねりの中で必然だった。

物語は「彼女」の「今こそ時は零年なのです」(下巻最終頁)で締めくくられる。内戦の雌雄が決した零年。拙文の最後を、ふと思い出さずにいられなかった坂口安吾堕落論』を「彼女」の零年に対応させて締めたい。

「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である」(新潮文庫堕落論』P86)

知性は報復の連鎖をとめられるか?

【はじめに】

レバノン出身ワジディ・ムアワッドの戯曲『灼熱の魂』(2003年初出・邦訳新潮文庫/大林薫訳)をとりあげる。

レバノン内戦に題材をとった物語であり、実在の人物スーハ・ベシャラが主人公ナワルのモデルとなっているが、内戦の史実と実在のレジスタンス活動家に取材しつつ、史実の悲劇を増幅させる物語となっている。

ここではその増幅の構造を解き明かす。

 

【歴史と実在と増幅装置としての戯曲】

『灼熱の魂』を理解するために、レバノン内戦という「歴史」、レジスタンス活動家スーハ・ベシャラという「実在」、架空の戦争と主人公ナワルという「フィクション」の3層を概括していきたい。

レバノン内戦とは1975年から1990年まで続いたレバノン内部勢力同士の抗争である。キリスト教勢力とパレスチナムスリム勢力の対立をアウトラインとするが、諸派の対立構造は複雑である。くわえて1976年のシリア軍侵攻、1982年のイスラエル侵攻など各国の介入を招いて事態はさらに泥沼化した。1982年のイスラエルに支援されたキリスト教勢力によるパレスチナ難民キャンプ襲撃「サブラー・シャティーラ虐殺」は国際的非難を浴びた。

スーハ・ベシャラは1967年生まれ、レバノン共産党に属するキリスト教徒の活動家。レバノン共産党ムスリム組織とは別に反イスラエル・反SLA(南レバノン軍・キリスト教右派民兵組織)のレジスタンスを展開していた。スーハはエアロビクスインストラクターとしてSLA司令官ラハドの家族に接近、ラハドの妻の信頼をへて私邸に出入りするようになる。1988年11月17日、拳銃でラハドを銃撃、2発の銃弾を放った。のちにスーハはムアワッドの「なぜ2発だったのか?」という問いに「1発はレバノン人のため、もう1発はパレスチナ人のため」と答えた。ラハドは重傷を負うが一命を取り留める。逮捕されたスーハはキアム刑務所に収監され、3か月にわたる拷問の後、19998年に国際的な人権団体の圧力で釈放されるまで10年間苛酷で非道な収容生活を送った。

ナワルは本書の主人公の女性である。15歳(1952年)でやがて拉致され失踪してしまう夫ワハブとの子ニハドを出産。41歳(1978年)で対立民兵組織の最高指導者シャドを2発の銃弾を浴びせて暗殺。43歳(1980年)、収監されたクファール・ラヤット監獄で看守のアブー・タレクに強姦され妊娠、双子の姉弟シャンヌとシモンを出産。60歳(1997年)でアブー・タレクを訴追する公判に出廷、ある重大な事実を知る。ナワルはそれを知った日以来口をきかなくなる。65歳(2002年)死去。ジャンヌとシモンにあてた遺言を公証人エルミル・ルベルに託す。

 

【愛と憎悪/知性と野蛮】

  • 〈100年戦争〉…物語による時空の拡張

なぜ、ムアワッドにとってスーハ・ベシャラのドキュメンタリーでは足りなかったのか。なぜ『灼熱の魂』では戦争は実際のレバノン内戦ではなく架空の設定なのか。

ナワルはスーハより20歳早く生まれた設定。民兵トップを銃撃した時の年齢もナワルの方がスーハより19歳上。レバノン内戦で実際に起きた「サブラー・シャティーラ虐殺」に呼応すると思われる物語中の「クファール・リヤドとクファール・マトラの虐殺」(P145など)は1978年の設定で実際の事件より4年早い。レバノン内戦は1975年に発生して1990年に終結、15年の長きにわたったが作中の架空の戦争はナワルが村を離れた19歳のとき、1956年頃から始まり少なくともナワルがクファール・ラヤット監獄に収容されていた1980年代中期から末期までは続いていたと思われるので約30年続いていたことになる。ナワル自身はこの「兄が弟と、姉が妹と反目しあう。怒りに駆られた民間人同士の争い」を「100年戦争」と呼んだ。また、レバノン内戦の構図を模しているが人名や勢力の名称、地名はすべて架空である。つまり作中では戦争は時空を超えて拡張するものとして描かれる。

  • 事実を増幅させるナワルの物語

ナワルの物語はどのようにスーハの事実を増幅させているか。それはなんといってもナワルが「母」であるという点だ。

ニハドの失踪した父ワハブはナワルとの別れ際に次のように言う。「ぼくが海を見た日には、きみの頭の中で”海”という言葉が鳴り響くだろう。そして、きみはむせび泣くだろう。なぜなら、そのとき、きみは、ぼくがきみを想っていることを知るからだ。ぼくがどこにいようと、関係ない。ぼくたちは一緒にいる。一緒にいられることほど美しいものはないんだ」(P.59)

このように、ムアワッドは男女の性愛の理想を愛に貫かれているものと考えている。そして、子をなす行為の結果として出産を経た母という存在も必然的に愛を全身にまとったものとなる。ナワルは出産時にこのように言う。「なにがあっても、ずっとあなたを愛しているわ!なにがあっても、ずっとあなたを愛しているわ!…ナワル、ピエロの鼻を赤ん坊の産着の中に忍ばせる」(P。61)「あなた」とはニハドであり、「愛している」という言葉は父ワハブへの永遠の愛の誓いでもある。ピエロの鼻は愛の象徴である。

苛酷な戦争下でもナワルの存在理由である愛は揺らぐことはなかった。

物語中盤でナワルはニハドへの想いを親友サウダに次のように明かす。「太陽を見ているとね、思うの。あの子もこの太陽を見ているんだって。鳥が空を飛んでいたら、あの子も同じ鳥を見ているかもしれない。遠くの空に雲が出ていたら、雨の中をあの子が身を縮めて走っているところを想像するの。いつもあの子を思っているの。その一瞬一瞬が、あの子に愛を誓っているのと同じなの」(P.113)これはナワルへのワハブの愛と重なる。

また、戦争が泥沼化する中でサウダが自爆テロ志願をほのめかしたとき、ナワルはサウダを次のように諫める。「いまの状況では、死ぬ人と、まだ死なない人がいる。ならば、心の底から誰かを愛したことがある人から先に死ぬほうがいい。そういう愛をまだ知らない人より先に」(P.158)誰かを愛したことがある人とはナワル自身であり、愛をまだ知らない人とはサウダである。

ところが物語は途方もないプロットの機序によってナワルの「愛」を厳しい試練に立たせる。愛の象徴だったピエロの鼻がもたらす驚くべき悲劇的効果によってナワルはある事実を知り一言もしゃべらなくなる。そして終生沈黙を貫く。

  • 知性と野蛮

少女期のナワルを覚醒させたものにワハブ(ニハド)への愛と別軸で祖母ナジーラとの約束がある。ナジーラはナワルに次のように諭す。「決して言いなりになってはいけない。けれど、いやだと言えるようになるには、言葉を操る能力を身につけないとね。だから、まずは勇気を身につけて、しっかり勉強すること!・・・読み書きを学び、算術を学び、話術を学びなさい。学ぶこと。わたしと同じ轍を踏まないようにするには、それしかないのだから。どうか、そうすると約束しておくれ」(P.64)なぜナジーラはナワルにこのように懇願したのか。ナジーラは独白する。「わたしら一族は、一族の女たちは、長きにわたって怒りの連鎖から抜け出せずにいた。わたしは自分の母親に対して怒りを覚え、おまえの母親はわたしに怒りを覚えた。おまえと同じようにね。おまえは、おまえの母親に怒りを覚えている。そんなおまえだって、自分の娘に怒りを継承させることになるのだよ。負の連鎖を断ち切らなければいけない」(P.65)この一族の内部の怒りの連鎖はやがて他宗派への怒りの連鎖へと増幅されることは想像に難くないだろう。それゆえナジーラはワハブに「言葉の力」を託した。言葉こそが怒りの連鎖を断ち切るのだ、と。ナワルは戦争が激化する中でもナジーラの教えを守り「言葉の力」を唯一の拠り所としてカオスに対峙しようとする。「本はすばらしいわ。でも、往々にして、前時代的か、時代を先取りしすぎているかのどちらかよ。そのどれもが喜劇的に作用する。新聞社は彼らに破壊されてしまったけれど、それなら、別の新聞を起ちあげるまでよ。以前の新聞は〈日の光〉という名前だった。新しい新聞は〈暁の歌〉と命名しましょう。わたしたちはまだやれるわ。言葉には恐ろしい力がある。冷静さを失わず、物事をはっきりと見通さなければならない。先人に倣って、鳥の飛翔から雲行きを読みとるように。見抜いてみせようじゃないの」(P.133)「わたしには約束がある。ひとりのおばあさんと、読み書きや話術を学び、憎しみから抜け出すことを約束したの。わたしはその約束を守るわ。なにがなんでも。いつも星を見あげて、決して誰も憎まない」(P.154)

ナワルは〈言葉の力〉を用いて状況に対峙しようとしている。では状況の「混沌」は何か。19歳のナワルが生き別れのニハドを探しに来たクファール・ラヤットで土地の医師はナワルにこの戦争の本質を次にようにつげる。「兄弟が自分の兄弟に発砲し、父が自分の父に発砲する。武力紛争です。しかし、なにを争っているのでしょう?ある日、50万人の人々が境界を越えて、こちらに逃れてきました。彼らは『自分たちの土地を追い出されたので、こちらの地に住まわせてくれ』と言いました。こちら側には、それを受け入れる人、拒絶する人、逃げ出す人がいました。数百万人の運命が交錯しているのです。もはや、誰がなんのために銃口を向けているのかわからない。そういう戦争なのです」(P.102)ナワルは報復が連鎖する状況の推移を「時間は頭を切り落とされたニワトリよ。狂ったように右へ左へと走っていく。首からは血がどくどくとあふれ出し、わたしたちは血の海に呑み込まれてしまう」(P.125)と形容する。ナワルの盟友サウダは戦争を「大地は赤いオオカミに痛めつけられ、呑み込まれる」(P.84)と抽象化する。

では〈言葉の力〉は「赤いオオカミ」「頭を切り落とされたニワトリ」に屈するのだろうか。

 

【ナワルの物語とはなんだったのか?】

ここまで、歴史・実在・架空という物語の三層構造を概括し、架空設定による時空の拡張(抽象化)の効果と母としてのナワルが内包する〈愛〉、〈言葉の力〉による野蛮との対峙を物語の主題として汲み取ってきた。

物語は分解された家族の再生を示唆して終わる。

ナワルはアブー・タレクの公判廷に出廷することで「ある事実」を知った。「ある事実」はナワルの愛を試練に立たせるには充分すぎるほどの悲劇だった。やがて死期を悟ったナワルはジャンヌとシモンにあてた遺言を書く。そこでは〈言葉の力〉を放棄したナワルによる「沈黙」の理由と、〈言葉の力〉の復活が綴られる。

「わたしたちの物語は、ひとりの娘(ナワル)が祖母ナジーラの墓石に名を刻むため、故郷の村に返ってきた日に始まった、と。その日から物語が始まるのです。ジャンヌ、シモン。あなたたちに話さなかったわけを言いましょう。見つけ出して、はじめて明らかになる真実があるのです。あなたたちは封筒を開けて、沈黙を破りました。石にわたしの名を刻みなさい。そして、その石をわたしの墓におきなさい。あなたたちの母より」

物語的に増幅された悲劇は、ひとたび愛と知性への信頼を崩壊させるが、崩壊した瓦礫の底から新たな生命が再生するだろう。

 

※文中の(P…)は新潮文庫版『灼熱の魂』のページ。

 

 

金門島旅行記

1日目(2025年3月3日)東京→台北

羽田発7時55分の中華航空223便で台北へ。定刻10時55分台北松山空港着。ここからトランジットで金門へ向かうが、台北発は翌朝6時40分。松山空港についてから、ここが24時間営業でないことに気付いた(松山空港の営業時間は5時〜23時30分)。

急遽台北で宿を探す。Booking.comでGrace Hotel Dunbei(敦北)というところがすぐ予約できた。12人部屋のドミトリーだが、もともと空港で夜明かしするつもりだったので文句はない。空港から10分、1泊3,000円。近い!安い!

また利用するかもしれないのでグレースホテル敦北のURLをはっておく。

https://www.gracehotel.com.tw/

部屋に荷物を置いて台北散歩。宿から歩いて20分くらいの遼寧街夜市(夜市というか、

裏通り)で魯肉飯、線麺を食す。

遼寧街夜市

2日目(3月4日)台北金門島

前夜から激しい雷の音がする。飛行機は無事飛ぶのかと心配しながら空港へ。ご覧の通りプロペラ機だが、出発時には雨もやみ定刻通り離陸。マンダリン航空1261便8時金門空港着。

ここから宿をとった金城までバスで約20分。金城は島西部、空港は島の中部。バスは山外という島東部の市外と金城を空港を経由して結ぶ。路線バスは系統ごとにナンバーがふられ、行先も大きく表示されているので慣れるとわかりやすい。料金は悠游カード(台湾の交通ICカード)払いでストレスがない。今回悠游カードに1,000元(日本円で約5,000円)チャージしたが翌日の烈嶼往復、帰路の金城から空港まで使っただけで余った。購入、チャージはコンビニで出来る。

さてゆっくり来たつもりでも10時ころには金城に着いてしまった。まずはホテルに荷物を預けようとGoogleマップで道を探すが…地図は表示されるが目的地が表示されない!こちらの位置情報もあやしい。どうやら珠浦北路というところらしく、バス停からかなり離れたその地点まで歩く。結論、これがよかった。かなり遠回りして結局のところ宿はバス停と目と鼻の先にあったのだが、歩きまわったおかげで金城の街を味わうことが出来た。

一言で言って迷宮。路地が縦横にのび、抜け出たと思ったら全く別の場所にいる。そして軒を並べる露店、家々の玄関の前に脱ぎっぱなしのサンダル、縁側に置かれた椅子で寛ぐ人。

さてかなり遠回りして辿り着いたのは「浯島軽旅」という旅館。ここは浯島文製という書店の経営らしくて、ロビーには書籍が並んでいる。そのうちの一つがこれ。

『金門危機・1950年代アメリカの外島政策』なぜ面積も小さく人口も少ない中国沿岸の小島が小寧頭戦役から823砲戦まで国共内戦の最前線であり続けたのか、その背後にあるアメリカの戦略とは…みたいな内容だろうか。歴史のこういう切り口は現地で触れてみるとより切実感を増す。ちょっと知的な雰囲気のする浯島軽旅のURLを貼っておく。

https://kmbnb.homi.cc/

浯島軽旅2泊で約15,000円

さてチェックイン後荷物を部屋において金城市街を散策してみた。夕暮れから夜にかけての金城はとても素敵で、いつまでも迷い込んでいたい、そんな気にさせる街だった。

金城老街の定食屋で肉羹麺とモツとゆで卵を食す。

この書店で金門島のちゃんとした地図をもらった。

金門名物、砲弾の鋼で作った包丁を売るお店

1923年の街並みが残る模範街

3日目(2025年3月5日)烈嶼めぐり

今回の旅の主目的、烈嶼(小金門)の戦跡を回る。日本語版ウィキペディアでは烈嶼までフェリーで渡ることになっているが、現在は金門大橋が開通している。金城から路線バス15系統(15、15A、15B)がそれぞれ1時間に1本くらい出ているが、島からの帰りにどこからバスに乗れるのか、また何時にバスが出るのかはイマイチ不明で、帰りのバスはおそらく早目に出てしまうだろうということくらいしかわからない。

とりあえず6時40分発の15Bに乗り、メインターミナルっぽい名称の烈嶼車站を目指す。金城を出発してすぐ金門大橋を渡る。海の向こうに霞む摩天楼は厦門だ。

さて、とりあえず目的地の烈嶼車站で降りたが、市街地から外れたところにバス数台分の車庫があるだけで他に何もない。烈嶼内のバスの路線図は掲示されているが金城へのバスの案内がまったくない。はたして帰りのバスはどこから乗ればいいのか?何時までなら間に合うのか?まったくわからないまま島内に取り残された。バス停の近くには「勝利門」といういかにもなモニュメントがある。

烈嶼は縦横4〜5キロの小島である。どこにもよらなければ半日強で徒歩で一周することも可能だ。今回いくつかの史跡をめぐるのにタクシーは使わず徒歩で回ることにした。幸運だったのは、バス停のすぐ近くに九宮坑道という史跡があったことだ。さっそくここから踏派することにする。冷戦期に作られた、小艇を隠しておく場所で、岬を貫いて海水を湛えた大きな坑道が掘られている。中に入ると圧迫感がすごい。観光用の歩道が設置されていないトンネルもあり、入口を覗くと不気味だ。

(九宮坑道開門時間8時30分~16時30分まで)

さて九宮坑道を後にして、次は烈嶼最西端の沙渓堡を目指す。とりあえず今回は沙渓堡から厦門との最短に位置する湖井頭戦史館まで島の半周を徒歩でめぐることとする。

歩き始めてすぐ出くわしたのが、海水浴場の隣にフェンスもなく設置されているトーチカ。

はじめは廃墟かと思ったが、エアコンの室外機が新しい。裏側にドアがあり、「軍所有立ち入り厳禁」なる立札がある。どうやら何かあった時にすぐ使えるように今でも軍が管理しているようだ。それにしても海水浴場の隣で建物の壁にも触り放題で、これで立ち入り厳禁とは。

同じような軍の緩さ?でいえば沙渓堡への途中にあった軍施設の歩哨に道を聞いたら追い払われることもなく門から出てきて親切に道を教えてくれた。

さて沙渓堡への道中である。一言で言って何もない。立派な車道だが、めったにクルマが通らない。

ひたすら歩き続けて青岐という集落に通りがかる。人気は全くない。

青岐を通過してまたひたすら田舎道を歩く。

1時間半ほど歩いて沙渓堡に着いた。

対岸の摩天楼は厦門。手前の小島までが台湾領。

 

 

この厦門の摩天楼は、今まで島の南側を歩いていたので見えなかったが、この後、島の中央から北側を歩くにつれ、どこにいても見え隠れするようになる。直近で5キロほどらしいが、本当に近い。

この沙渓堡にも坑道跡がある。金門は本島も含めて坑道だらけだ。硫黄島からベトコンまで、歩兵戦は地下に潜るのが有効だということを身につまされる。ここの坑道は九宮と違い歩兵が立て籠るためのもので、身長より低い天井の坑道から縦横に銃眼が伸びる。


1950年代から70年代まで冷戦の最前線だったこの場所。いうまでもないが現代の中国の戦力だったら本気で台湾侵略を目論めば金門島は真っ先に蹂躙されるだろう。この島の平和はどうしたら守れるのだろうか?

さて、沙渓堡を後にして島の北側にある最終目的地、湖井頭戦史館に向かう。今までは島の南岸沿いに歩いてきたが、今度は中央部を縦に突っ切るルートをとる。

ところで金門島ではGooglemapはイマイチあてにならない。まず、金城でそうだったように自分の位置情報が出ないのでどこにいるのかわからない。よって、スマホを見ながら普通の地図のように道路の曲がり方や交差点を読み込んで進む。ナビがなかった時代のドライブと同じだ。そして、地形が更新されていない。下の写真の左はGoogle、右は前夜金城の書店でもらったリアル地図。実際歩いていて途中大きな湖に出くわすが、Googleには表示されていないのでこの道でいいのか不安になった。

ひたすらクルマもろくに通らない田園の中を歩く。島内では烏骨鶏や牛が放し飼いにされている。実にのどかだ。一方、島の中央から北側にかけては、厦門の摩天楼がすぐ近くに見え隠れする。きっと厦門は金門とは別天地のように現代化されているのだろう。すごいパラレルワールド感だ。

朝8時前にバスを降りてから3時間以上ずっと歩いてきた。こんなに切実な思いで歩いたのは久しぶりだ。不思議な、じわっとした多幸感に包まれていた。脚は痛いが、疲れは感じなかった。

そして湖井頭に着いた。

ここは対岸の厦門にもっとも近い。中間の小島は台湾領で、軍施設のため民間人は立ち入れない。

戦史館の中は蒋介石と兵士が一緒に写っている写真が何枚も展示され、中華民国の戦意高揚の意図が感じられる。正直ちょっとしらけた。ここ金門島は旧日本統治下の台湾には帰属していない。1915年に民国県政が敷かれたが、それをもって国民党が占拠する正当性とするのは無理がある。国共内戦に巻き込まれて、一方の側に勝手に居座られた金門島の人々の本音はどんなものだろうか?

以下参考のため、戦史館周辺のスローガンを貼っておく。

古寧頭戦役で共産党軍を撃退し「金門の熊」といわれたM5戦車のモニュメント

湖井頭からひとまず島中心部の東林まで戻ろうと再び歩き始めた。歩き慣れてきたのか、足の痛みも感じなくなった。このまま東林まで一気に踏破してもよかったが、通りがかったバス停に金城行きの時刻表が載っていた。あと少し待てばバスが来るようだ。半信半疑バス停で待っていたら定刻に行きと同じ15B系統のバスが来た。そしてあっという間に金門大橋を渡り、金城に戻った。

金城の最後の思い出、牛肉麺。スープのない状態の麺と生の牛肉に熱い出し汁をかける。

最後に金城の言語について。

浯島軽旅の受付のお姉さんに「台湾語と中国語どっちがメイン?」と聞いたが「中国語も台湾語も一緒だよ、謝謝も再見も台湾語」と言われ「???」となったが、これは旅行者が軽くあしらわれただけだということがわかった。ここで現地語でもっとつっこめるようになりたい!悔しい!

どうやらガーツァ(おはよう)をワーツァと発音するようだとか、多謝(ありがとう)が謝多になっているようだが島の人が話している語彙は台湾語である。少なくとも、中国に近いからといって中国語に吞み込まれているのでないらしいことがわかって良かった。

帰路の台北松山空港掲示してあった案内ですべて納得。島の人が話しているのは閩南語起源の台湾話と通じる金門話だった。普通の挨拶がなかなか通じなかったのは地域差による言い回しの違いだった。まぁ歴史も地理もまったく違うので簡単に通じないのが当たり前なのだが(こういうことは日本での事前の情報収集ではまったくわからなかった)。

なお、これを読むと旅館の名前だった浯島は金門島の古名であることがわかる

4日目(2025年3月6日)帰路

金城車站から藍1系統山外行の路線バスで空港へ。空港へはこの藍1系統か、1時間おきに出ている第3系統という、どちらも島東部の山外と金城を結ぶ路線に乗れば中間地点。ちなみに中国語の「機場」という表示は皆無で「民航站」と表示されている。Airportという単語もほぼ通じないのでご注意を。

金城車站から山外行第3系統の路線図と時刻表。途中に民航站(空港)がある。

帰路。

金城空港発12時20分マンダリン航空1266便→13時30分定刻台北松山着。

台北松山18時25分発中華航空222便→羽田22時15分定刻着。

かかった費用をざっとまとめると

【往復の航空機代(台北・金門すべて)】約90,000円

【宿泊費】台北一泊3,000円・金城二泊15,000円

【悠游カードチャージ】約5,000円(残高あり)

【食費】一日約5,000円

【レート】1台湾ドル(元)=4.49円(2025年3月6日現在)・台湾元紙幣にざっくり4をかけると金銭感覚が狂わない。韓国ウォンを10分の1するのと逆の感覚。

【気候・服装】3月のこの時期、同時期の日本よりプラス10度が目安。私の滞在中は連日曇りで朝夕は肌寒かった。そして夕方は大抵雨が降る。温度調節用のジャケットやジャンパー、雨具必携。

 

感謝、再會金門。

逆説の『三体』-文革と現代科学と環境破壊

ここ最近もっとも読まれたSF『三体』(劉慈欣著・初出2008年)。

エイリアン物だが既視感のない構成。設定が未来でなく現代なのも新鮮。物理学のガジェットが物語を知的にしている。

作中でエイリアンと地球人との間に言語や歴史についてまがりなりにも相互理解が成立するから、そこは同じエイリアンものでもレムの古典『ソラリス』とはだいぶ違う。三体人(エイリアン)と地球人類の対峙は中国史で繰り返された騎馬民族漢民族の対峙も想起させ、物語の大きな図式は実は古典的でもある。

ところが物語はメインモチーフの三体問題さながら解きにくく、人類の複雑な課題を提示しているように思えた。ここでは通常のレビューであまりふれられない、『三体』の底に流れる思想潮流を3つに分けてみていきたい。

 

【潮流その1 文革から沈黙の春】へ

小説『三体』は現代を舞台にしているが、物語の始まりは1960年代後半の文化大革命である。これが物語の重要な伏線になっている。まずは作品において文革がどのように描かれているかを見ていきたい。

「じつのところ、この少女はほかの者たちよりもまだ幸運なほうだった。少なくとも、理想のために身を捧げ、激情の中で壮麗な死を遂げることができたのだから」(大森望他訳・早川書房版P9以下引用は同書から)

「この少女」とは本作の主人公葉文潔の妹、文雪である。文雪の死は、紅衛兵同士の派閥闘争の激しい武力衝突でもたらされた。ここでは触れないが文雪の「烈死」も後のある出来事の伏線である。「理想に身を捧げ、激情の中で壮麗な死を遂げる」ことが「幸福」だったというこの一文に、作者は文革の本質を言い表している。

文革とはなんだったのか? 主人公文潔は文革終焉時に次のような葛藤をおぼえる。「情熱の時代はすでに過去のものとなり、もう二度と来ることはないだろう。…これは狂乱の時代の終結を意味するのだろうか? 科学と理性は復活するのだろうか?」

「情熱」「狂乱」といった文革の本質は、文潔が抱いた疑問そのまま、物語の中で姿を変えて生き続ける。続く提示がレイチェル・カーソン沈黙の春』である。

文革で大学を追われた文潔は下放先の大興安嶺で森林伐採に従事する。そこで目の当たりにしたのは以下のような光景だった。

「ただ狂気としか呼ぶしかないものだった。高々とそびえる大興安嶺山脈のカラマツ…目に入るものはなんでも伐採した。何百台ものチェーンソーは鋼鉄のイナゴの群れさながらで、文潔の連隊が通りすぎたところは、ただ一面の切り株だけが残された」(P.25)

文革期の森林伐採は大躍進期を引き継ぎ工業用燃料の確保を目的としておこなわれた。人類の繁栄のため自然を犠牲とする役割に従事するなかで文潔は『沈黙の春』に出会う。

 「著者は殺虫剤の毒によって死にゆく沈黙の村を描いている。ごく平凡な表現の背後に、深い憂慮がありありと感じられる…四十数年後、文潔は人生最後のとき、『沈黙の春』が自分の人生に与えた影響を振り返ることになる。この本に出会う前から、若い文潔の心には、一生治ることのない大きく深い傷が、人類の悪によって刻まれていた。しかし、この本に出会ってはじめて、文潔は人類の悪に対して理性的に考えるようになる」(P.28)

文潔は文革によって父を殺された「人類の悪」の犠牲者だったが、同じ人類の悪として環境破壊をとらえるようになっていく。そして物語中盤以降、文革の狂気の被害者だった文潔は、抑えることのできない理想への希求を地球を痛めつける人類の告発へと振り向けていく。

大興安嶺

 

【潮流その2 現代科学の壁】

 文革で始まったプロローグは舞台を現代へ移し、もう一人の主人公、汪淼が登場する。汪はナノマテリアルを専門とする応用物理学者だ。汪は軍が仕組んでいるらしい策謀にのせられて科学フロンティアという団体に潜入する。

 「理論的なモデルはますます複雑になり、あいまいで不確かなものになっている。実験で検証することはますますむずかしくなっている。これは物理学研究の最前線が大きな壁にぶつかっていることの表れです。そこで、新たな思考のルートを切り開こうとしているのが〈科学フロンティア〉です。簡単にいえば、彼らは科学の方法で科学の限界を見つけようとしている。科学が自然を解明する深さや精度に限界があるかどうか・そこから先に進めないという壁が、科学にあるかどうか。それを確認しようとしている」(P.67)

科学フロンティアは作中このように説明される。現代物理学はすでにこの境界線に触れたかもしれないというのが科学フロンティナの共通認識だ。その共通認識をよく表すのが、科学フロンティア内で用いられる以下の二つの仮設である。

一つ目は射撃手仮設。あるずば抜けた腕をもつ射撃手が、気まぐれで的に十センチ間隔の穴を空ける。この的の中には二次元生物が住んでおり、二次元生物のある科学者がみずからの宇宙を観測した結果、科学者は射撃手の気まぐれの結果でしかない「宇宙に10センチずつ穴があいている」状態を不変の「法則」だと思い込む。

二つ目は農場主仮設。ある農場の七面鳥の群れに、農場主は毎朝十一時に給餌する。七面鳥のある科学者がそれを一年観察して「この宇宙では毎朝十一時に食べ物が出現する」ことを「発見」する。七面鳥科学者はその発見した「法則」をクリスマスの朝に発表したが、クリスマスの朝に給餌はされず、七面鳥はすべて農場主によって食べられてしまった。

いうまでもなく二次元生物や七面鳥の科学者は人間の科学者のメタファーである。そしてこの仮説によれば、射撃手や農場主といういわば「神」的存在を人間は認識することができないのだ。

一方、作中で中国政府はSETI(地球外生命体の探査)に注力していた設定となっている。ところが地球外生命との接触困難性はカルダシェフ・スケールという宇宙物理学のモデルから説明される。地球文明はまだ地球の全エネルギーをコントロールできておらず、SETIを目的とした宇宙への電波送信の試みは「一万里先にいる蚊の羽音」にすぎない。

カルダシェフ・スケール

こうした現代物理学が逢着した不可知論と、宇宙の中の孤独な人類を怜悧に捉えたところから、物語は読者の想像できない壮大なスケールで展開していく。

 

【潮流その3 地球環境の危機】

作者は宇宙(あるいは神?)に対する不可知性と並んで、人類の愚行として地球環境破壊についてふれていく。環境破壊への抵抗者として登場するのが物語後半の重要なキーパーソン、エヴァンズだ。

エヴァンズはアメリカの石油会社の御曹子だが、青年時代に父の会社のタンカーの座礁で流出した油で瀕死になった海鳥を見たとき以来、人類以外の種の生命に深く関心をもっている。ヒトという種とあらゆる地球上の生物の種は平等だというのが彼の考えである。それを彼は『種の共産主義』とよぶ。

また、エヴァンズの愛読書がピーター・シンガー『動物の解放』である。これは動物の権利運動において種差別(知能の高低に応じて特定の種が配慮ない差別的な扱いを受けること)に反対し、動物実験を非難しヴィーガンを推奨する思想である。

環境保護において現実論と理想論の二つの立場があるとしたらエヴァンズは振り切った理想論に立つ。ちなみに現実論的な環境保護運動とは人類の存続を目的として、技術進歩に期待しつつ現実政策で解決を目指す考え方である。対して理想論は、人間の利益を目的とせず、人間中心主義からの脱却を目指す。種の共産主義も動物解放論もまさしく理想論の系譜の中にある。

時代は冷戦の真最中で中国も核実験に血道をあげていた。作中、文潔が核兵器についてどのように考えていたかを示す一文がある。「天体物理学者として、文潔は核兵器に強く反対する立場だった。原子力は恒星だけに帰属すべき力だと知っていたからだ。宇宙にはもっと恐ろしい力があることも知っていた。ブラックホール反物質が持つ力に比べたら、核爆弾などちっぽけな蝋燭に過ぎない。そういう力のひとつでも、もし人類が手に入れてしまったら、世界は一瞬で消える。狂気の前では、理性などなんの力もない」(P.297)

こうした人間理性への懐疑は、文潔が文革の被害者であること、『沈黙の春』の読者だったことと無縁ではない。

エヴァンズと文潔はやがて運命的な出会いをはたす。狂気の犠牲者だった文潔と理想論的環境主義エヴァンズは人類を震撼させる情報を手中にしたことから結びつきを深めていき、物語は大きく転換する。

このように、作者は文革や環境破壊、現代物理学の発展と限界を通じて、人類の理想と狂気の二面性を逆説的に暴いていく。

 

【結び 虫けら】

 『三体』の登場人物は、2人の主人公文潔と汪淼をはじめ、「超」のつくインテリばかりだが、その中で唯一庶民出身の主要人物の史強が異彩を放つ。史強はローンに追われ、出世とは縁がない一介の警察官だが捜査の手腕だけは抜群である。その史強が苦悩するインテリ汪淼の精神的支えになり、普通のエリートが持ち合わせない発想力で物語のクライマックスに大きな役割をはたす。

 文革に先立つ大躍進期に「蝗害」がおこった。公衆衛生のためスズメを根絶せよという毛沢東の鶴の一声で中国全土のスズメを駆除した結果、イナゴが大量発生して農作物が大打撃を受けたのだ。ここにはエリートの浅知恵があらわれている。史強はそのことを知ってか知らずかエリートの脆弱性を見透かすように汪淼に語りかける。

 「おれたち…この虫けらをなんとか滅ぼそうと、全力を傾けてきた…しかし、まだ結果は出ていない。虫けらどもはまだ絶滅していないどころか、我が物顔でのさばっている…どうやら、一つの事実を忘れちまっているらしい。虫けらは一度も敗北したことがないって事実をな」(P.430)

 文革から地球外生命との接触まで長い旅をしてきた後に、深く印象に残るエピローグである。

 

『闇の奥』解題

いわずとしれたコンラッド著『闇の奥』を分析批評します。

 

【論点提起】

19世紀末(20世紀初頭)に書かれた本作はニーチェら「生の哲学」の影響を色濃く受けていると思われ、世紀末的時代の頽廃的雰囲気を漂わせている。(『闇の奥』の出版は1902年。コンラッドコンゴ河で象牙採取船の船長だったのが1890年~91年)。そこでは産業資本主義の勃興が一段落した時代背景にあって、思想界、芸術界に表れ始めた近代への懐疑が胚胎している。何かに憑りつかれたようにアフリカに向かった青年がそこで出会う当時の資本主義(帝国主義)を代弁するビジネスマンたちとは相いれないスケールをもったクルツという男。そしてクルツを怪物として目覚めさせたアフリカというwilderness(荒野、原生)。本作は読み解きにくいと評されることも少なからずあるが、シンプルかつ骨太い近代への警句である。にもかかわらず20世紀後半、アフリカ各地で植民地からの独立が相次ぐようになると、ポストコロニアルの文脈で批判的に読まれることが少なくなくなった。

本論の要旨は、『闇の奥』本文の文脈を押さえなおし、ポストコロニアル批判が誤読であることを指摘しつつ、20世紀後半以降の時代特性によってそのような読み方が広まった背景にも内在し、『闇の奥』の時代的限界ついても触れていきたい。

 

【藤永訳あとがきについて】

まずはポストコロニアル批評の典型として、藤永茂訳本(三交社刊)のあとがきについてみていきたい。藤永あとがきの中で主論となっているのはポストコロニアル批評のきっかけとなったアチェベによる『闇の奥』批判と、アーレントによるナチズム批判における『闇の奥』援用である。ナイジェリアの文学者アチェベとユダヤアーレントでは立場は異なるものの、コンラッドが描いたのは「野蛮」だとしている点で共通している。

アチェベはコンラッドを「べらぼうな人種主義者」と呼び、アーレントは『全体主義の起源』のボーア人論でクルツ現象を敷衍し「人類は未開の野蛮部族を目のあたりにしたときの驚愕をたとえ知っていたにせよ、個々の輸入品としてではなく大陸全体に蠢く住民としての黒人を見たときのヨーロッパ人を襲った根源的な恐怖」(『全体主義の起源』)の反映としてクルツを捉えた。クルツのヨーロッパ文明を超越した説明困難な生命力をアフリカの野蛮に影響を受けたものだと論じた。

アチェベとアーレントはメダルの裏表のようなものだが、ヨーロッパ文明とアフリカの野蛮の二項対立にのっとって、文明が見た野蛮=闇として『闇の奥』を読みこんでいる点では同じである。そしてここに誤読が生じている。

 

【『闇の奥』のモチーフにおける対比と対照】

コンラッドは「文明と「野蛮」を対立させているのか?本文に表れるモチーフを検証しながら検討していきたい。『闇の奥』にはいくつかの代表的なモチーフがあるが、それらをどう対比させ、あるいはアナロジーさせているかを見ていくことにより本文の主題は明らかになるはずだ。

まず、対立させているモチーフとして「畜群」と「超人」がある。

畜群とはニーチェが『善悪の彼岸』などでも用いた付和雷同する群衆を軽蔑する概念だが、本作では植民者ベルギー人の官吏たちの俗物さとして際立って描写されている。

たとえば、典型的な植民者であるコンゴ中流の中央出張所(地名は匿名だが現キンシャサ、当時のレオポルドビル)の支配人は次のように書かれる。「朝から20マイルは歩いてきた僕だったのに、座れともいわないのだ。顔色も、容貌も、身のこなしも、声も、平々凡々とした男だった。(中略)なんとも言えない、かすかな唇の動き、どこか、ずる賢そうな薄笑い‐いや薄笑いというのでもない」(『闇の奥』藤永茂三交社版P58-以下引用は全て同書)

これら平々凡々とした植民者のモチベーションが本国本社に認められて地位や権力を得るという俗物的なものであるのに対して、それらとは相いれないものとしてコンラッドが対比させるのが超人であり、超人の体現者としてのクルツだ。

超人とはやはりニーチェの意匠であり、畜群の反対概念である。なぜ生まれてきたのかの意味さえつかみにくい人生、虚無に陥りやすい人生を自らの意思に立脚して行動する人間のことだ。少し長くなるがクルツについての描写をいくつか引用する。

「ひとりっきりの白人の男。突然、本部に背を向け、交代することを拒み、おそらくは、家郷への思いをさえ断ち切って、未踏の自然の深奥を目指し、誰もいない荒涼とした出張所目指して帰って行く男」(P87)

「足の赴くまま、心の赴くままに、どこにでも行ってみようと決心した男が、孤独を潜り抜け、寂寥に耐えて、初めて踏み込むあの原始の地帯の異様さが、君らに想像できるはずがない‐お巡りなどひとりもいない完全な孤独-人々の意見を小声でそっと警告してくれる親切な隣人などひとりもいない完全な寂寥を経て、はじめて到達できる土地なのだ」(P130)

「彼の上にも、彼の下にも、何も存在しなかった。それは分かっていた。地を蹴って空に舞い、自分を解放したのはよかったが、この男ときたら!立っていた大地まで粉々に蹴りくだいてしまったのだ」(P174)

この「畜群」と「超人」の対比に照合するものとして、「資本主義的合理性」と「wilderness」の対比があげられる。これをコンラッドは土地の描写を通じて表現している。

まず、資本主義的合理性の象徴としてブリュッセル(作中では匿名都市)は「白く塗った墓をいつも連想させられる都市」(P29)として非人間的な冷たい場所として書かれる。そして、中央出張所のあるレオポルドビルは「やっていることの全体が、慈善事業でもあるかのような表向きにしろ、運営管理や仕事の装いにしろ、すべてが現実離れ。唯一の現実的な感情といえば、何とかして、象牙が集められそうな交易所の一つにでも任命してもらって、そこで交易の手数料を稼げるようになりたいという欲望だけだった」(P66)と書かれているように、そこにぶら下がる植民者たちの俗物ぶりと照応している。

ブリュッセルやレオピルドビルの雰囲気を形成しているのが資本主義にもとすく計算や欲得だとしたら、それに対比されるのが本作の通奏低音である「wilderness」である。

「植物たちの巨大な壁、幹、枝、葉、大枝、花や葉の綱、溢れんばかりに生い茂り絡まりあったその塊が、月の光のなかに凝然として、声なき生命の襲来のように押し寄せる植物の大波が、積み上がり、波頭を高くもたげて、今にも入り江に雪崩かかって、取るに足らぬわれら人間どもをひとり残らず、そのしみったれた存在から洗い流してしまうかと思われた。もちろん、それはビリとも動かない」(P81)

そして重要なのはwilderness(荒野、原生)がクルツに与えた影響である。

「荒野のほうは早くから彼を見抜いていて、言語道断の彼の侵入行為に対して、恐ろしい復讐を仕掛けてきたのだった。荒野は彼が知らなかった彼自身の実態について、彼に囁きかけてきたのだと僕は思う。-そしてその囁きは抗い難い魅惑に溢れたものだった。彼の心の中空は空洞だったから、その囁きは空洞の中で大きくこだましたのだった」(P153)

「彼(クルツ)を残忍非道で豊かな胸に引き寄せようとするかのような荒野の呪縛を、何とか破ろうとした。この呪縛だけが、森の果てに、叢林の中に、篝火の輝き、太鼓の鼓動、そして妖気迫る呪文の唱和の方へと、彼を駆り立ててやまなかったのだと僕は確信した。この呪縛だけが彼の反逆的な魂を巧みに欺いて、人間に許された願望の限界を踏み越えさせたものに違いない」(P173、傍線筆者)

以上を通じてわかるように、コンラッドは肯定的な文明と否定的な野蛮を対立させているのではない。対立させているのは資本主義的合理主義(懐疑的な近代)とwilderness(根源存在としての荒野、原生)であり、また、近代的群衆である畜群と、根源的意志に生きる超人である。

そして、必然的にコンラッドはwildernessを本来ヨーロッパにも存在していたものとしてアナロジーを展開する。「テムズ河」と「コンゴ河」である。

語り部のイギリス人マーロウが後日談を語る舞台である19世紀末(20世紀初頭)のテムズ河。本作の主要な舞台であるコンゴ河。これらをつなぐものは何か。

「僕は大昔の事、1900年前、ローマ人が初めてここにやってきた頃のことを考えていたんだ‐ついこの間のようにね。 砂州、沼沢、森林、蛮民、-文明人の口に合うものなどほとんど何もなく、テムズ河の水のほかには飲むものもない。ファレリノ・ワインなどはさらさらなく、陸に上がっての楽しみもない。あちらで、またこちらで、まるで干し草の大束のなかの針みたいに、荒野のなかで消息を絶つ野営隊もあった。-寒さ、霧、嵐、疫病、流浪、そして死、-空気のなかにも。水のなかにも、藪のなかにも、死がそっと潜んでいるのだ。兵士たちは蠅のように死んでいったに違いない」(P19テムズ河について、傍線筆者)

「だが、その中に格別に際立った一つの河、地図でもよく目を引く大きな河があった。とぐろを解いたでっかい大蛇のような恰好をしていて、その頭は深く海にのめり込み、胴体はだだっ広い地域にまたがるカーブを描いて横たわり、その尻尾は、深い奥地のなかに姿を消していた。 小鳥がーおろかな一羽の小鳥が蛇に魅入られてしまったように、僕はすっかりその河のとりこになってしまったのだ」(P25コンゴ河について)

「河筋は、僕らが進む前方には開けていったが、船が過ぎた跡は、また閉ざされてしまう感じだった。それは、まるで、森がのっそりと河の流れに踏み入ってきて、僕らの帰りの路を塞いでしまうように見えた」(P96コンゴ河について、傍線筆者)

「沖合いには黒々とした雲の土手ができていた。地の果てまでも続く静かな水路が曇り空の下を暗然と流れ‐途方もなく大きな暗黒の奥まで通じているように見えた」(P203テムズ河、傍線筆者)

傍線箇所を読めばわかるように、コンラッドはwildernessをヨーロッパの中にも認めている。

さらに、クルツに対して語り部マーロウは「野蛮の象徴」「文明の堕落」として否定するのでなく、その超人的ありかたにシンパシーを抱く。

「クルツの数々の言葉は、少なくとも僕の心の耳には、その背後に、夢のなかで聞く言葉、悪夢のなかで語られる語句のような、恐るべき暗示を含むものとして聞こえてきた、そう、魂だ!」(P174)

ブリュッセルに戻ったマーロウはそこで再び畜群を目にする。

「あの墓のような都会に帰り着いてみると、人々は街の通りをせわしなく行き交い、お互いに些細な金をくすね合い、悪評高い地料理をむさぼり食い、からだにさわりそうな地ビールをがぶ飲みし、下らない愚にもつかぬ夢を見ている、そんな大衆の様子にほとほと嫌気がさしてしまった自分を見出したというわけだ」(P186)

このように文脈をおさえていけば、『闇の奥』は文明対野蛮という二元論で構成されているものでないということが明確になるだろう。コンラッドは根源的な原生と、そこに育まれた意志によって生きる人間を描きたかったのだ。

 

【闇の奥の限界】

以上を踏まえたうえで、『闇の奥』の限界についてもおさえておきたい。というのは作品が書かれた時代特性や、作者の背景をなす社会や文化のパースペクティンブによって現代のポリティカルコレクトネスに抵触する部分が生じざるをえないからである。『闇の奥』はどちらにしても「19世紀末という時代」に「イギリス人」によって書かれた事実、そしてコンラッドの視角の範囲から自由ではないのである。

たとえばこれまでみてきたようにコンラッドは〈産業資本主義(帝国主義)〉と〈wildernessを19世紀末に体現しているアフリカ(ひいては黒人)〉を反対概念として対比させている。おわかりのようにこれはアフリカに対する乱暴なステレオタイプ化だといえる。このステレオタイプは進んだ文明対未開(野蛮)という図式に容易に転換しうる。事実として『闇の奥』には名前がつけられた人格としての黒人は一人も登場しない。先に見てきたようにコンラッドは〈アフリカ〉と〈wilderness〉をアナロジーさせ、wildernessたるアフリカで超人へと覚醒したクルツを肯定的に描いている。つまりコンラッドにとってwildernessは否定的文脈での野蛮ではないのだが、そのような芸術的モチーフとしてアフリカを援用(利用)したばかりに、そこにいる人格としての黒人を捨象しているのである。

それはポストコロニアル批評がいうような短絡的な黒人差別ではないのだが、白人の登場人物たちが良きにせよ悪しきにせよ人格として描写されているのに対して黒人をあたかもオブジェのように「モノ化」しているとの誹りを免れないだろう。

そのような限界性を内包しつつも『闇の奥』が文学史に残る大著である事実は揺るがない。なぜなら本作の主題である〈近代への懐疑〉はそのまま現代のわれわれの内臓を抉るからである。

 

『誉れの剣』解題

イーブリン・ウォー著『誉れの剣』を読んだ。

最近他でも続いている、日本語に訳されていなかった大型名作の待望の翻訳である。

白水社版・小山太一訳)

 

まず著者について。1903年生まれ1966年没。自らが所属したイギリス上流階級の描写を得意とし、また離婚後に入信したカトリックである。第二次大戦に従軍し、その体験をもとに『誉れの剣』を書いた。

そして本書『誉の剣』について。ガイ・クラウチバックというカトリックの没落貴族を主人公とする第二次大戦開戦から末期までの一貫した物語だが、発表時期によって3部作となっている。第一部『つわものども』では戦争初期、陸軍に志願した主人公が軍人らしさを身につけ、前線へ赴くことを待望するまでが書かれる。第二部『士官たちと紳士たち』ではナチスドイツとイギリス軍の間で激戦となったクレタ島攻防戦が主要な舞台となっている。第三部『無条件降伏』ではクレタ島から生還したガイが内地で失意の日々を送りながら家族間のさまざまな出来事を経験していく。

 

さて、では以下に本書の主題、プロット、人物を分析しながらこの希代の名著をより深く味わっていきたい。

 

①メタファー「剣」から導かれる主題

タイトルとなっている『誉れの剣』の「剣」。読む進むとわかるのだが、このメタファーには三重の意味が込められている。

まず第一に、誇りと高潔の象徴として。第一巻(つわものども)13ページ以降、ガイが従軍の決意とともにイングランド出身の十字軍戦士サー・ロジャー・ウェイブルックの墓を詣でるくだりがある。ロジャーの墓にはかれの剣が飾られている。ロジャーはエルサレムに辿り着くことなく、イタリアで客死したがその剣は自己犠牲と信仰の証であるように思われる。そしてそれはガイの深奥の信念と深くつながっている。

第二に、男性の性的メタファーとして、つまり願望としての全能感や支配欲の象徴として。いったい、ガイほどみっともない主人公もそうそういない。没落貴族にして寝取られ主人、跡取りもおらず才覚もなく、彼の代で名家クラウチバック家は消滅する必定にある。この、ガイの精神的インポテンツ感はさまざまなエピソードで描かれる。軍入隊早々の骨折、本人の意図に反して軍幹部からは再三にわたり前線指揮を外される。妻の浮気があり、そして再開した妻から肉体関係を拒絶される。戦争後期、ひょんなことで念願かなって特殊部隊に配属されるも降下訓練に失敗しまたも骨折。やることなすこと上手くいかず、それを自分で乗り越える力量も持たない。そんなガイの(そしてそれはおそらくほとんどの男性たちに共有されるであろう)無能感の裏返しとして、フロイト的であるが「剣」が男性器の代替機能を果たすのである。

第三に、政治的アイロニーとして。第三巻(無条件降伏)に、戦時中のロンドンで実際に展示された「スターリングラードの剣」についての描写が幾度となく出てくる。この剣は、ナチスに侵攻されるに及び連合国の一員となったソ連への連帯を現わすものとして、英王室からスターリンへの贈り物として製作された。英王室の権威と伝統が、当初は全体主義との正義の戦争であったものにおいて、やがて共産主義との野合によって遂行されるアイロニー敵の敵は味方になっていく政治的ご都合主義と本来の目的の喪失。もちろんナチス共産主義と一体のものとして「武装した現代」としてとらえるというのはカトリックであるガイ(そして作者ウォー)のポジショニングである。スターリングラードの剣は政治的野合(共産主義と手を組んだ保守の堕落)を象徴している。

 

②プロット

筋書としては、主人公ガイの戦争を通じたオデュッセイア(遍歴譚)とみることができる。第三巻(無条件降伏)で、ユーゴスラビアでの軍務が終わりに近づくころ、ガイがロジャー・ウェイブルックの墓参りから始まった「旅」の終わりを実感する記述にもそれはあらわれている。

全編が旅になぞらえられているとするなら、ガイの没落貴族としての出自には盛者必衰の悲哀がつきまとうし、重要な副人物でるフック准将=生身の戦争屋やガイの「妻」ヴァージニアの生き方はまさに生々流転である。もともと安定性にはほど遠い人物たちが、戦争という大河のうねりに巻き込まれて、本来の自分達を一層曝け出す有様をこの物語は紡ぎ出いでいる。

ガイにとって定住地になるはずだったケニアや、隠棲の地になるはずだったイタリアとの対比において、ガイは様々な訓練地を、ロンドンを、故郷を、北アフリカクレタを、ユーゴスラビアを転々と移り住み、とどまることはない。その移動は軍隊の命令によるものなので、自ら選んだ彷徨ではないが、ノマディックな年月を通じてガイ自身の魂は彷徨する。

対して、主要人物の中では父クラウチバックだけはすでに死に方・死に場所を定めて隠棲・安息している。

総じてモラルとその周辺の揺らぎを描いており、生の不安そのものを描いているのではない。

 

③人物の対比・照応を通じた主題の炙り出し

モラルとその周辺の揺らぎが物語の全編を律動しているが、それは人物たちの造形や人物どうしの対比を読み込んでいくことでさらに明瞭になる。

まず、物語を波打たせているモラルと揺らぎを抽出してみる。

・貴族の血統の栄華と没落

・カトリシズムの倫理と世俗や共産主義全体主義といった「武装せる現代」

・肉体と魂

不能と全能

・生と死

これらを人物たちはどのように具現化しているだtろうか。

まず主人公ガイにおいて。

・軍で何かをしようとする際に出花をくじかれるように骨折する(不能感)

・没落貴族の取り柄のない子弟(無能感)

・前妻に捨てられた(無能感)

・次兄の発狂(不吉、不安感)

・前線勤務を希望するが常に退けられる(不能感)

・ヴァージニアの子やユダヤ難民救済に目覚めていく(モラリストである父クラウチバックとの照応)

・リュードヴィック(作者ウォーの第二の分身ともいうべき人物)
体躯が大きい(全能感)

要領機転がきく(全能感)

ホモセクシュアル

パトロンに育成された(生え抜きの〈自由人〉ヴァージニアとの対比)

アフォリズムを日記に書きつけている(文学的才能)

上流階級の言葉使い、労働者の言葉使いを使い分けられる(言語的才能)

クレタ島での上官殺しによる自身の生き残り(原罪)

全能感の一方で原罪に苛まれ発狂寸前になる(ガイの次兄との照応)が小説を書くことで懊悩を昇華させる。

・ヴァージニア(ガイの「前妻」であり「妻」)

肉体的魅力(ガイとの対比)

性遍歴

誰にも捕捉、飼育されない(ガイやリュードヴィックとの対比)

死への願望

・リッチーフック(ガイを〈軍人〉に仕立て上げた怪人物)

暴力性(ガイとの対比)

戦場依存症

誰にも捕捉されない(ヴァージニアとの照応)

死への願望(ヴァージニアとの照応)

ちなみにフックには戦地で死んだ敵の将兵の首を切り落として持ち帰るというグロテスクな習性があるが、これはコンラッド『闇の奥』のクルツへのオマージュではないかと思われる。クルツがニーチェ哲学的な「超人」であるならば、フックもまた「超人」的な人物だからだ。ちなみに小説のテーマ性としては生の不安をど真ん中で肯定して超越している『闇の奥』と、モラルと不安の間を波のように往還している『誉れの剣』では、相容れるところはない。それは、父クラウチバックを完全なモラリスト(ヴァージニア、フックとの対比、リュードヴィックとの照応)として、物語全体のアイコンにしているところからも窺えるのである。