時空自在

タンジールから中国へ・そして帰還

『闇の奥』解題

いわずとしれたコンラッド著『闇の奥』を分析批評します。

 

【論点提起】

19世紀末(20世紀初頭)に書かれた本作はニーチェら「生の哲学」の影響を色濃く受けていると思われ、世紀末的時代の頽廃的雰囲気を漂わせている。(『闇の奥』の出版は1902年。コンラッドコンゴ河で象牙採取船の船長だったのが1890年~91年)。そこでは産業資本主義の勃興が一段落した時代背景にあって、思想界、芸術界に表れ始めた近代への懐疑が胚胎している。何かに憑りつかれたようにアフリカに向かった青年がそこで出会う当時の資本主義(帝国主義)を代弁するビジネスマンたちとは相いれないスケールをもったクルツという男。そしてクルツを怪物として目覚めさせたアフリカというwilderness(荒野、原生)。本作は読み解きにくいと評されることも少なからずあるが、シンプルかつ骨太い近代への警句である。にもかかわらず20世紀後半、アフリカ各地で植民地からの独立が相次ぐようになると、ポストコロニアルの文脈で批判的に読まれることが少なくなくなった。

本論の要旨は、『闇の奥』本文の文脈を押さえなおし、ポストコロニアル批判が誤読であることを指摘しつつ、20世紀後半以降の時代特性によってそのような読み方が広まった背景にも内在し、『闇の奥』の時代的限界ついても触れていきたい。

 

【藤永訳あとがきについて】

まずはポストコロニアル批評の典型として、藤永茂訳本(三交社刊)のあとがきについてみていきたい。藤永あとがきの中で主論となっているのはポストコロニアル批評のきっかけとなったアチェベによる『闇の奥』批判と、アーレントによるナチズム批判における『闇の奥』援用である。ナイジェリアの文学者アチェベとユダヤアーレントでは立場は異なるものの、コンラッドが描いたのは「野蛮」だとしている点で共通している。

アチェベはコンラッドを「べらぼうな人種主義者」と呼び、アーレントは『全体主義の起源』のボーア人論でクルツ現象を敷衍し「人類は未開の野蛮部族を目のあたりにしたときの驚愕をたとえ知っていたにせよ、個々の輸入品としてではなく大陸全体に蠢く住民としての黒人を見たときのヨーロッパ人を襲った根源的な恐怖」(『全体主義の起源』)の反映としてクルツを捉えた。クルツのヨーロッパ文明を超越した説明困難な生命力をアフリカの野蛮に影響を受けたものだと論じた。

アチェベとアーレントはメダルの裏表のようなものだが、ヨーロッパ文明とアフリカの野蛮の二項対立にのっとって、文明が見た野蛮=闇として『闇の奥』を読みこんでいる点では同じである。そしてここに誤読が生じている。

 

【『闇の奥』のモチーフにおける対比と対照】

コンラッドは「文明と「野蛮」を対立させているのか?本文に表れるモチーフを検証しながら検討していきたい。『闇の奥』にはいくつかの代表的なモチーフがあるが、それらをどう対比させ、あるいはアナロジーさせているかを見ていくことにより本文の主題は明らかになるはずだ。

まず、対立させているモチーフとして「畜群」と「超人」がある。

畜群とはニーチェが『善悪の彼岸』などでも用いた付和雷同する群衆を軽蔑する概念だが、本作では植民者ベルギー人の官吏たちの俗物さとして際立って描写されている。

たとえば、典型的な植民者であるコンゴ中流の中央出張所(地名は匿名だが現キンシャサ、当時のレオポルドビル)の支配人は次のように書かれる。「朝から20マイルは歩いてきた僕だったのに、座れともいわないのだ。顔色も、容貌も、身のこなしも、声も、平々凡々とした男だった。(中略)なんとも言えない、かすかな唇の動き、どこか、ずる賢そうな薄笑い‐いや薄笑いというのでもない」(『闇の奥』藤永茂三交社版P58-以下引用は全て同書)

これら平々凡々とした植民者のモチベーションが本国本社に認められて地位や権力を得るという俗物的なものであるのに対して、それらとは相いれないものとしてコンラッドが対比させるのが超人であり、超人の体現者としてのクルツだ。

超人とはやはりニーチェの意匠であり、畜群の反対概念である。なぜ生まれてきたのかの意味さえつかみにくい人生、虚無に陥りやすい人生を自らの意思に立脚して行動する人間のことだ。少し長くなるがクルツについての描写をいくつか引用する。

「ひとりっきりの白人の男。突然、本部に背を向け、交代することを拒み、おそらくは、家郷への思いをさえ断ち切って、未踏の自然の深奥を目指し、誰もいない荒涼とした出張所目指して帰って行く男」(P87)

「足の赴くまま、心の赴くままに、どこにでも行ってみようと決心した男が、孤独を潜り抜け、寂寥に耐えて、初めて踏み込むあの原始の地帯の異様さが、君らに想像できるはずがない‐お巡りなどひとりもいない完全な孤独-人々の意見を小声でそっと警告してくれる親切な隣人などひとりもいない完全な寂寥を経て、はじめて到達できる土地なのだ」(P130)

「彼の上にも、彼の下にも、何も存在しなかった。それは分かっていた。地を蹴って空に舞い、自分を解放したのはよかったが、この男ときたら!立っていた大地まで粉々に蹴りくだいてしまったのだ」(P174)

この「畜群」と「超人」の対比に照合するものとして、「資本主義的合理性」と「wilderness」の対比があげられる。これをコンラッドは土地の描写を通じて表現している。

まず、資本主義的合理性の象徴としてブリュッセル(作中では匿名都市)は「白く塗った墓をいつも連想させられる都市」(P29)として非人間的な冷たい場所として書かれる。そして、中央出張所のあるレオポルドビルは「やっていることの全体が、慈善事業でもあるかのような表向きにしろ、運営管理や仕事の装いにしろ、すべてが現実離れ。唯一の現実的な感情といえば、何とかして、象牙が集められそうな交易所の一つにでも任命してもらって、そこで交易の手数料を稼げるようになりたいという欲望だけだった」(P66)と書かれているように、そこにぶら下がる植民者たちの俗物ぶりと照応している。

ブリュッセルやレオピルドビルの雰囲気を形成しているのが資本主義にもとすく計算や欲得だとしたら、それに対比されるのが本作の通奏低音である「wilderness」である。

「植物たちの巨大な壁、幹、枝、葉、大枝、花や葉の綱、溢れんばかりに生い茂り絡まりあったその塊が、月の光のなかに凝然として、声なき生命の襲来のように押し寄せる植物の大波が、積み上がり、波頭を高くもたげて、今にも入り江に雪崩かかって、取るに足らぬわれら人間どもをひとり残らず、そのしみったれた存在から洗い流してしまうかと思われた。もちろん、それはビリとも動かない」(P81)

そして重要なのはwilderness(荒野、原生)がクルツに与えた影響である。

「荒野のほうは早くから彼を見抜いていて、言語道断の彼の侵入行為に対して、恐ろしい復讐を仕掛けてきたのだった。荒野は彼が知らなかった彼自身の実態について、彼に囁きかけてきたのだと僕は思う。-そしてその囁きは抗い難い魅惑に溢れたものだった。彼の心の中空は空洞だったから、その囁きは空洞の中で大きくこだましたのだった」(P153)

「彼(クルツ)を残忍非道で豊かな胸に引き寄せようとするかのような荒野の呪縛を、何とか破ろうとした。この呪縛だけが、森の果てに、叢林の中に、篝火の輝き、太鼓の鼓動、そして妖気迫る呪文の唱和の方へと、彼を駆り立ててやまなかったのだと僕は確信した。この呪縛だけが彼の反逆的な魂を巧みに欺いて、人間に許された願望の限界を踏み越えさせたものに違いない」(P173、傍線筆者)

以上を通じてわかるように、コンラッドは肯定的な文明と否定的な野蛮を対立させているのではない。対立させているのは資本主義的合理主義(懐疑的な近代)とwilderness(根源存在としての荒野、原生)であり、また、近代的群衆である畜群と、根源的意志に生きる超人である。

そして、必然的にコンラッドはwildernessを本来ヨーロッパにも存在していたものとしてアナロジーを展開する。「テムズ河」と「コンゴ河」である。

語り部のイギリス人マーロウが後日談を語る舞台である19世紀末(20世紀初頭)のテムズ河。本作の主要な舞台であるコンゴ河。これらをつなぐものは何か。

「僕は大昔の事、1900年前、ローマ人が初めてここにやってきた頃のことを考えていたんだ‐ついこの間のようにね。 砂州、沼沢、森林、蛮民、-文明人の口に合うものなどほとんど何もなく、テムズ河の水のほかには飲むものもない。ファレリノ・ワインなどはさらさらなく、陸に上がっての楽しみもない。あちらで、またこちらで、まるで干し草の大束のなかの針みたいに、荒野のなかで消息を絶つ野営隊もあった。-寒さ、霧、嵐、疫病、流浪、そして死、-空気のなかにも。水のなかにも、藪のなかにも、死がそっと潜んでいるのだ。兵士たちは蠅のように死んでいったに違いない」(P19テムズ河について、傍線筆者)

「だが、その中に格別に際立った一つの河、地図でもよく目を引く大きな河があった。とぐろを解いたでっかい大蛇のような恰好をしていて、その頭は深く海にのめり込み、胴体はだだっ広い地域にまたがるカーブを描いて横たわり、その尻尾は、深い奥地のなかに姿を消していた。 小鳥がーおろかな一羽の小鳥が蛇に魅入られてしまったように、僕はすっかりその河のとりこになってしまったのだ」(P25コンゴ河について)

「河筋は、僕らが進む前方には開けていったが、船が過ぎた跡は、また閉ざされてしまう感じだった。それは、まるで、森がのっそりと河の流れに踏み入ってきて、僕らの帰りの路を塞いでしまうように見えた」(P96コンゴ河について、傍線筆者)

「沖合いには黒々とした雲の土手ができていた。地の果てまでも続く静かな水路が曇り空の下を暗然と流れ‐途方もなく大きな暗黒の奥まで通じているように見えた」(P203テムズ河、傍線筆者)

傍線箇所を読めばわかるように、コンラッドはwildernessをヨーロッパの中にも認めている。

さらに、クルツに対して語り部マーロウは「野蛮の象徴」「文明の堕落」として否定するのでなく、その超人的ありかたにシンパシーを抱く。

「クルツの数々の言葉は、少なくとも僕の心の耳には、その背後に、夢のなかで聞く言葉、悪夢のなかで語られる語句のような、恐るべき暗示を含むものとして聞こえてきた、そう、魂だ!」(P174)

ブリュッセルに戻ったマーロウはそこで再び畜群を目にする。

「あの墓のような都会に帰り着いてみると、人々は街の通りをせわしなく行き交い、お互いに些細な金をくすね合い、悪評高い地料理をむさぼり食い、からだにさわりそうな地ビールをがぶ飲みし、下らない愚にもつかぬ夢を見ている、そんな大衆の様子にほとほと嫌気がさしてしまった自分を見出したというわけだ」(P186)

このように文脈をおさえていけば、『闇の奥』は文明対野蛮という二元論で構成されているものでないということが明確になるだろう。コンラッドは根源的な原生と、そこに育まれた意志によって生きる人間を描きたかったのだ。

 

【闇の奥の限界】

以上を踏まえたうえで、『闇の奥』の限界についてもおさえておきたい。というのは作品が書かれた時代特性や、作者の背景をなす社会や文化のパースペクティンブによって現代のポリティカルコレクトネスに抵触する部分が生じざるをえないからである。『闇の奥』はどちらにしても「19世紀末という時代」に「イギリス人」によって書かれた事実、そしてコンラッドの視角の範囲から自由ではないのである。

たとえばこれまでみてきたようにコンラッドは〈産業資本主義(帝国主義)〉と〈wildernessを19世紀末に体現しているアフリカ(ひいては黒人)〉を反対概念として対比させている。おわかりのようにこれはアフリカに対する乱暴なステレオタイプ化だといえる。このステレオタイプは進んだ文明対未開(野蛮)という図式に容易に転換しうる。事実として『闇の奥』には名前がつけられた人格としての黒人は一人も登場しない。先に見てきたようにコンラッドは〈アフリカ〉と〈wilderness〉をアナロジーさせ、wildernessたるアフリカで超人へと覚醒したクルツを肯定的に描いている。つまりコンラッドにとってwildernessは否定的文脈での野蛮ではないのだが、そのような芸術的モチーフとしてアフリカを援用(利用)したばかりに、そこにいる人格としての黒人を捨象しているのである。

それはポストコロニアル批評がいうような短絡的な黒人差別ではないのだが、白人の登場人物たちが良きにせよ悪しきにせよ人格として描写されているのに対して黒人をあたかもオブジェのように「モノ化」しているとの誹りを免れないだろう。

そのような限界性を内包しつつも『闇の奥』が文学史に残る大著である事実は揺るがない。なぜなら本作の主題である〈近代への懐疑〉はそのまま現代のわれわれの内臓を抉るからである。