時空自在

タンジールから中国へ・そして帰還

『誉れの剣』解題

イーブリン・ウォー著『誉れの剣』を読んだ。

最近他でも続いている、日本語に訳されていなかった大型名作の待望の翻訳である。

白水社版・小山太一訳)

 

まず著者について。1903年生まれ1966年没。自らが所属したイギリス上流階級の描写を得意とし、また離婚後に入信したカトリックである。第二次大戦に従軍し、その体験をもとに『誉れの剣』を書いた。

そして本書『誉の剣』について。ガイ・クラウチバックというカトリックの没落貴族を主人公とする第二次大戦開戦から末期までの一貫した物語だが、発表時期によって3部作となっている。第一部『つわものども』では戦争初期、陸軍に志願した主人公が軍人らしさを身につけ、前線へ赴くことを待望するまでが書かれる。第二部『士官たちと紳士たち』ではナチスドイツとイギリス軍の間で激戦となったクレタ島攻防戦が主要な舞台となっている。第三部『無条件降伏』ではクレタ島から生還したガイが内地で失意の日々を送りながら家族間のさまざまな出来事を経験していく。

 

さて、では以下に本書の主題、プロット、人物を分析しながらこの希代の名著をより深く味わっていきたい。

 

①メタファー「剣」から導かれる主題

タイトルとなっている『誉れの剣』の「剣」。読む進むとわかるのだが、このメタファーには三重の意味が込められている。

まず第一に、誇りと高潔の象徴として。第一巻(つわものども)13ページ以降、ガイが従軍の決意とともにイングランド出身の十字軍戦士サー・ロジャー・ウェイブルックの墓を詣でるくだりがある。ロジャーの墓にはかれの剣が飾られている。ロジャーはエルサレムに辿り着くことなく、イタリアで客死したがその剣は自己犠牲と信仰の証であるように思われる。そしてそれはガイの深奥の信念と深くつながっている。

第二に、男性の性的メタファーとして、つまり願望としての全能感や支配欲の象徴として。いったい、ガイほどみっともない主人公もそうそういない。没落貴族にして寝取られ主人、跡取りもおらず才覚もなく、彼の代で名家クラウチバック家は消滅する必定にある。この、ガイの精神的インポテンツ感はさまざまなエピソードで描かれる。軍入隊早々の骨折、本人の意図に反して軍幹部からは再三にわたり前線指揮を外される。妻の浮気があり、そして再開した妻から肉体関係を拒絶される。戦争後期、ひょんなことで念願かなって特殊部隊に配属されるも降下訓練に失敗しまたも骨折。やることなすこと上手くいかず、それを自分で乗り越える力量も持たない。そんなガイの(そしてそれはおそらくほとんどの男性たちに共有されるであろう)無能感の裏返しとして、フロイト的であるが「剣」が男性器の代替機能を果たすのである。

第三に、政治的アイロニーとして。第三巻(無条件降伏)に、戦時中のロンドンで実際に展示された「スターリングラードの剣」についての描写が幾度となく出てくる。この剣は、ナチスに侵攻されるに及び連合国の一員となったソ連への連帯を現わすものとして、英王室からスターリンへの贈り物として製作された。英王室の権威と伝統が、当初は全体主義との正義の戦争であったものにおいて、やがて共産主義との野合によって遂行されるアイロニー敵の敵は味方になっていく政治的ご都合主義と本来の目的の喪失。もちろんナチス共産主義と一体のものとして「武装した現代」としてとらえるというのはカトリックであるガイ(そして作者ウォー)のポジショニングである。スターリングラードの剣は政治的野合(共産主義と手を組んだ保守の堕落)を象徴している。

 

②プロット

筋書としては、主人公ガイの戦争を通じたオデュッセイア(遍歴譚)とみることができる。第三巻(無条件降伏)で、ユーゴスラビアでの軍務が終わりに近づくころ、ガイがロジャー・ウェイブルックの墓参りから始まった「旅」の終わりを実感する記述にもそれはあらわれている。

全編が旅になぞらえられているとするなら、ガイの没落貴族としての出自には盛者必衰の悲哀がつきまとうし、重要な副人物でるフック准将=生身の戦争屋やガイの「妻」ヴァージニアの生き方はまさに生々流転である。もともと安定性にはほど遠い人物たちが、戦争という大河のうねりに巻き込まれて、本来の自分達を一層曝け出す有様をこの物語は紡ぎ出いでいる。

ガイにとって定住地になるはずだったケニアや、隠棲の地になるはずだったイタリアとの対比において、ガイは様々な訓練地を、ロンドンを、故郷を、北アフリカクレタを、ユーゴスラビアを転々と移り住み、とどまることはない。その移動は軍隊の命令によるものなので、自ら選んだ彷徨ではないが、ノマディックな年月を通じてガイ自身の魂は彷徨する。

対して、主要人物の中では父クラウチバックだけはすでに死に方・死に場所を定めて隠棲・安息している。

総じてモラルとその周辺の揺らぎを描いており、生の不安そのものを描いているのではない。

 

③人物の対比・照応を通じた主題の炙り出し

モラルとその周辺の揺らぎが物語の全編を律動しているが、それは人物たちの造形や人物どうしの対比を読み込んでいくことでさらに明瞭になる。

まず、物語を波打たせているモラルと揺らぎを抽出してみる。

・貴族の血統の栄華と没落

・カトリシズムの倫理と世俗や共産主義全体主義といった「武装せる現代」

・肉体と魂

不能と全能

・生と死

これらを人物たちはどのように具現化しているだtろうか。

まず主人公ガイにおいて。

・軍で何かをしようとする際に出花をくじかれるように骨折する(不能感)

・没落貴族の取り柄のない子弟(無能感)

・前妻に捨てられた(無能感)

・次兄の発狂(不吉、不安感)

・前線勤務を希望するが常に退けられる(不能感)

・ヴァージニアの子やユダヤ難民救済に目覚めていく(モラリストである父クラウチバックとの照応)

・リュードヴィック(作者ウォーの第二の分身ともいうべき人物)
体躯が大きい(全能感)

要領機転がきく(全能感)

ホモセクシュアル

パトロンに育成された(生え抜きの〈自由人〉ヴァージニアとの対比)

アフォリズムを日記に書きつけている(文学的才能)

上流階級の言葉使い、労働者の言葉使いを使い分けられる(言語的才能)

クレタ島での上官殺しによる自身の生き残り(原罪)

全能感の一方で原罪に苛まれ発狂寸前になる(ガイの次兄との照応)が小説を書くことで懊悩を昇華させる。

・ヴァージニア(ガイの「前妻」であり「妻」)

肉体的魅力(ガイとの対比)

性遍歴

誰にも捕捉、飼育されない(ガイやリュードヴィックとの対比)

死への願望

・リッチーフック(ガイを〈軍人〉に仕立て上げた怪人物)

暴力性(ガイとの対比)

戦場依存症

誰にも捕捉されない(ヴァージニアとの照応)

死への願望(ヴァージニアとの照応)

ちなみにフックには戦地で死んだ敵の将兵の首を切り落として持ち帰るというグロテスクな習性があるが、これはコンラッド『闇の奥』のクルツへのオマージュではないかと思われる。クルツがニーチェ哲学的な「超人」であるならば、フックもまた「超人」的な人物だからだ。ちなみに小説のテーマ性としては生の不安をど真ん中で肯定して超越している『闇の奥』と、モラルと不安の間を波のように往還している『誉れの剣』では、相容れるところはない。それは、父クラウチバックを完全なモラリスト(ヴァージニア、フックとの対比、リュードヴィックとの照応)として、物語全体のアイコンにしているところからも窺えるのである。