時空自在

タンジールから中国へ・そして帰還

なぜあの戦争に反対しなかったのか?

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「なぜあの戦争に反対しなかったのか?」

この設問のリアリティ自体がいまや風化しているといえるだろう。

もう、あの戦争に負けてから72年もたった。

私は1966年生まれ、敗戦から21年もたってから生まれた。そして、敗戦からわずか21年後に生まれた。

私の父母は敗戦時はまだ子供だったので、父母に対して「なぜあの戦争に反対しなかったのか?」と問うことは出来なかったし、しようと思わなかったし、しなかった。

でも、「なぜ当時の大人は、あの戦争に反対しなかったのか?」という問いは持ち続けた。いつから? 『はだしのゲン』を読んでから? 思春期に入ってビートルズ反戦フォークとサブカルチャーが一緒くたになって私の心を浸したから? さらに二十代の多くの時間を、歴史的使命を終える寸前だった新左翼運動のきわどい最前線で過ごしたから?

それはわからないけれど、自分が体験したこともない「あの戦争」に違和感を覚え、そして「あの戦争」を許した当時の大人たちに違和感を覚え続けてきた。「なぜあの戦争に反対しなかったのか?」この問いへの答えをもし見つけることができたなら、私自身が「次の戦争には反対し得る」という切符を手にすることができるとでもいうように。

 

以上は前置きです。

 

なぜこんな設問をいまさら繰り返したくなったかというと、再刊された暮らしの手帖編『戦争中の暮しの記録』(暮しの手帖社)を一読して思うところがあったからです。

戦争体験者の手記で綴られたこの特集本は1969年に初版が発行されました。体験者による戦争末期の食料事情、空襲体験、疎開などの生々しい記録です。発刊当時にしても、いわゆる戦中派が沈黙しがちで戦争体験が風化していくような時代背景があったのでしょう。この雑誌特集はかなり反響を呼んだようです。

もちろん体験者の告白は真に迫るものがあり、あらためて戦争の惨禍を思わずにいられないのですが、私が印象に残ったのは「戦争中の暮しの記録を若い世代はどう読んだか」という付録です。

若い世代といっても1969年のことだから、主として団塊の世代より以前の人たちなんですが・・・。

この「若い世代」が主に言っているのが「なぜあの戦争に反対しなかったのか?」なのです。興味深いですね。ちょうど親にあたる世代に向けて子供世代が歴史状況への関わり方を巡って問いかけるわけだから。世代対立といえば現在は「バブルvsゆとり」みたいなものがありますがそれに比べると対立が先鋭だったような気はします。 

 

そして、その「戦争中の暮しの記録を若い世代は読んだか」に対して「戦争を体験した大人から戦争を知らない若い人へ」という付録が追加されています。

私は、この対論を読んで「なぜあの戦争に反対しなかったのか?」という設問がいかに愚問だったのか、ということを思い知ったのです。

 

どういうことなのか。

以下、対をなす手記を引用する。

「私は体験した方に希望する。もう一歩前(筆者注:戦争末期でなく開戦前夜)から語ってほしい。体験者に、どうして戦争に反対しなかったの? と聞くと、よく、そんなことは出来る状態ではなかった。気が付いたときはどうしようもなかった。それまで目隠しをされていたんだ、と答える。だから、戦争を繰り返さないためには目隠しを破り、かなぐり捨て、戦争を進めるものを打倒さねばならない。それは、戦争が始まってからでなく、その前、戦争に進んでいったときのことを聞きたい」(1969年当時19歳)

「今改めて戦争中の生活を振り返ってみると、若い人には到底理解してもらえないだろうと思われる微妙な感情が心に湧いてくるのをおぼえる…物は確かに豊かになったが、精神面の空虚さは一体どうしたことだろう。こういう現状に対する私たちの感情はそのまま戦争中の生活の記憶に結びつく…若い人に話しても理解してもらえそうにないこの心のモヤモヤも、いつかは時の流れとともに次第にあわく、消えて行くのだろうか」(当時43歳)

これ、この嚙み合わなさ自体が「歴史そのもの」なんだよな、と。そして、開戦を大人として体験した多くの人が「あの戦争」をいけないものだと思ってやしなかったし、もともと「いけない」と思っていやしないものに「反対」などするわけないよな、と。戦後世代にとっての「概念としての戦争」と戦中世代にとっての「体験としての戦争」を比べてみれば、当たり前のように、概念より体験のほうが重いわけであって。

つまり、子が親を乗り越えられないように、歴史は乗り越えられないよね、簡単には。

少なくとも、親の体験を、子供が、概念としてではなく体験として乗り越えられない限りは。

そして、体験はいずれ忘れ去られ、概念だけがイビツに残り、やがてそのイビツな概念も朽ち果てて。

私たちはそんな「72年後」に生きているのだと思います。

 

大岡昇平の戦中回顧談を再構成したくて書き始めたが前段で終ってしまった。本論? はいずれ更新されるはず)