時空自在

タンジールから中国へ・そして帰還

シリア内戦の終らせ方

 アメリアのアサド軍事基地攻撃によってシリア内戦のページがまた一つめくられた。シリア内戦が悲劇的様相を深めている第一の要因はアサドの強権政治(およびロシアの強力な支援)にあるが、もう一つの要因は国連安保理の機能不全である。アメリカの今回の攻撃が極めて限定的な、政治的アピールの延長にすぎないものである事が明らかになる一方で、アサド体制の存続と、それが意味する内戦の深刻な継続が予想される。アレッポ、グータで起こされた凄惨な市民の犠牲が今後も起こるという事だ。

 

 どうしたら内戦を終わらせる事が出来るだろうか?

 これは口に出して言う事ではないかもしれないが、最も現実的なのはアサドが完全な勝利を収めることである。反政府勢力は拠点都市を奪還されるごとに勢力を減衰させている。また、反体制派が統一した指導部を持たず四分五裂している事も弱体化の要因の一つである。まして反政府勢力がアサド軍に対して軍事的優位に立つことはありえない。もちろん追いつめられていったプロセスにはロシアの参戦があり、イランやヒズボラのてこ入れによってアサド軍が優勢を取り戻した事は忘れてはならない。アサド軍単独ではここまで軍事的優位に立つことは困難だったと思われる。

 ただし、アサドの完全勝利にはまだすさまじい困難がある。残る反体制派拠点であるイドリブ、ダラァを攻略しなくてはならないからだ。反政府地域の人口は推定200万人といわれている(諸説ある)がその多くはイドリブ周辺のシリア北部に居住している。まだ100万人単位で存在するアサドに恭順しない人たちを、これまで同様の徹底した封じ込めと殺戮で掃討するのは容易なことではない。

 シリア内戦を数年間見続けてきてつくづく思うのはシリア人の郷土愛の強さで、なぜ彼らがアレッポにしてもグータにしてもライフラインが断たれる封鎖の中で何年もそこを去らなかったといえば自分たちの生まれ育った土地を離れたくないというただそれだけだったからである。にもかかわらず抗戦に敗れてもアサドに恭順してそこに留まるよりも、別の反政府地域に移る人が多数(推定だが住民の半数)いるのかというと、それはよほどアサドの支配下で生きていきたくないからだ。そのような人々をアサドは政治的に説得することが出来ず、結局ジェノサイドに乗り出すしかない。

 つまりアサド体制の存続・アサドの勝利のためにはこれまで以上の市民の血が流されるということだ。

「戦争は勝者の歴史」だとはいっても、このような独裁者に何もなかったように政権に居座らせていいはずがないだろう。

 一方で反政府勢力に自力で勝利を収める力がない事は先に書いた通りだ。では、国際的な圧力でアサドを退陣に追い込むことが出来るだろうか?

 圧力といっても政治的なものから軍事的なものまで様々あり、今回の米英仏の軍事施設攻撃もその一つだ。前回のブログで書いたが、これについてもとても難しい。そもそも今回の米英仏の軍事アクトは「化学兵器攻撃をやめさせる」一点を目的としており、アサド体制の解体を目指したものではない。いくつかの情勢分析が示している通り、西側諸国はアサド体制の解体を目指していない。アサドに変わる現実的な政治体制が展望できない以上、アサドがいなくなったシリアは崩壊国家と化し、事実上の無政府状態に陥るからだ。それを支えるには莫大な財政と犠牲を伴う人的支援が必要となる。シリアの停戦プロセスを無効化している最大の要因は安保理常任理事国であるロシアの拒否権だが、いま一つ冷静に見なければいけないのは大国の「現実主義」である。

 また、極めて考えにくいがアメリカはじめ西側諸国がアサド体制を解体させることを目的とした軍事行動を決意したらどうなるだろうか?体制転覆を目的とした戦争は地上軍の派遣や地域を丸ごと標的にした戦略爆撃を実施せざるをえず、これはかっての戦史が教える通り凄惨で長期間に渉るものとなり、何よりも市民が多数殺傷されるであろう。

 

 つまりシリア内戦を短期で犠牲者を少なく終結させるオプションがないのである。

 

 これはとても悲劇的で、それを見続けるものにとっても精神的な苦痛を伴うものである。シリアに生きる人々の苦しみについては言うまでもない事である。

 

 21世紀になってから生まれた人がもうティーンエイジャーになっている。高校生とか、大学に入りたての人の中には、世界への関心で志を満たしている人もいると思う。そのような人たちに伝えたい事がある。世界はもともとこんなんじゃなかったんだよ、と。

 

 カンボジアPKOを若い人(こういう言い方が嫌だ)は知っているだろうか?

長年今のシリアと同じような内戦にあったカンボジアに1992年から1993年の間、UNTACK(国連カンボジア暫定統治機構)が乗り込み、戦火に堕ち込んでいた国を文民選挙までもっていった活動がありました。

 日本語でぐぐってもその活動の包括的な総括がなかなか見当たらないのですが、下記

のリンクはとても参考になります。

 

国連カンボジア暫定統治機構 (UNTAC)活動の評価とその教訓

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/97-3/i.htm

 

 これを読んで、その成功した結果に目がくらみませんか?

 国家として独立、難民の全員希望地への帰還、選挙の実施…。もし今シリアでこれが可能だったら!!!

 一方で失敗もあります。最大の失敗は、内戦当事者の片方の最大勢力だったポルポト派が停戦に合意しないままUNTACKがカンボジアに乗り込んでしまった事です。平和維持活動の重要な任務に「停戦監視」「兵力引き離し」というのがありますが、まだ戦火が収まらないうちに「停戦監視」をするのは非常に危険な任務となります。

 結果、日本から派遣された国連ボランティアの中田厚仁さん、文民警察官の高田晴行さんが亡くなりました。これは事実上戦死といえる痛ましい犠牲でした。

 

 当時私は20代半ばでした。実はこのカンボジア平和維持活動は、自衛隊初の海外派兵の舞台でもあったのです。いかなる理由があっても、自衛隊が海外に出動するのは良くないという思いで「海外派兵反対」のデモを毎日国会前で行っていました。今はノーベル賞受賞団体の日本代表となっているKさんも当時学生で、高田馬場のアジトみたいな事務所で会議をしながら、若くてバカなので「毎日デモ」とか「24時間デモ」しか思いつかなかったのが懐かしいです。

 

 結論、自衛隊カンボジアへ行きました。「戦死者を出さない」ための政治的配慮から、展開したのは安全な地域での道路整備でしたが。身代わりにボランティアや文民警察が危険地域に赴き、ある意味自衛隊の代わりに犠牲になりました。そのころの私達の率直な思いは、自衛隊カンボジア派兵は政治的なショーだという事でした。自衛隊がover seaする事だけが目的で、内容はどうでもいいのだと。

 

 それでも歴史を俯瞰してみれば、自衛隊はともかくUNTACはその後の国連の平和維持活動と比較しても成功を収めた方でした。

 

 すでにルワンダで国連は全く無力だったし、現在の南スーダンもそうです。だから私は国連の平和維持活動に幻想を持っているわけではありません。今のシリアで、ロシアが安保理を牛耳っている以上何も出来ない事もわかっています。

 でも、軍事が解決策じゃないんだよ。政治外交や国際社会の関与が市民を救うんだよ。その稀な成功例がないわけじゃないんだよ。カンボジアでは、問題だらけだったけどそれが出来た。

 

 シリアだってもはや軍事では解決できないんだよ。

 

 国連が無理ならば別の枠組みをつくればいい。東アジアでは文大統領が頑張ったじゃないか。停戦プロセス、対話の枠組みをどうつくるのかが重要なんだよ。戦争を戦争で終らせようとしたら犠牲者が増えるだけじゃないか。

 

 心ある人に届きますように。