時空自在

タンジールから中国へ・そして帰還

読書感想文『恥辱』

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最近はまっているクッツェー

直近では『恥辱』(鴻巣友季子訳・早川書房)を読んだ。

カフカ的な転落をモチーフにしているが、カフカのような形而上学的な不条理でなく、リアルなアカデミズム内部のハラスメントやアパルトヘイト撤廃という現代社会が抱える問題を背景としている。 

カフカは都会的を舞台としているが、本作の最大の不条理の舞台は南アフリカの大地であり、起こる事件はカフカ的抽象でなくリアルだ。

本書は2つの事件を原動力として物語が進む。

一つ目の事件は、大学教授である主人公ラウリーが「気まぐれに」手を出した自分の生徒からセクハラで訴えられるというものだ。ラウリーと被害者の女子学生の間に立つ調停役の大学の事なかれ主義。ラウリーは大学による調停を拒否したため野に追われる。ハラスメント問題という、新時代における権力構造の微妙な変化の中で、彼は旧時代に取り残されていく。

二つ目の事件は、ラウリーと、彼が身を寄せた農場を経営する娘が苛酷な犯罪の被害者となる。事件は裁かれるない。事件の顛末を通じて主人公と娘は亀裂を深めていく。アパルトヘイト撤廃直後の南アフリカ、近代的理性が通用しない世界に主人公と娘は投げ出されていく。

興味深いのは、19世紀英文学の研究者だったラウリーが、アカデミズムの中で「文学無き時代」を実感し、アカデミズムから追われてからも文学的感傷に浸る余裕など全くなかったのに、追い詰められれば追い詰められるほど、創作への意欲を募らせていく事だ。

バイロンと愛人テレサをモチーフにしたその戯曲は、恐らく完成する事はないだろう。創作にのめり込めばのめり込むほど、主人公ラウリーにはバイロンから棄てられたテレサの奥底からの声しか聴こえなくなり、夭折し史実にも殆ど顔を出さないテレサの私生児が幻影のように現れる。

芸術の意味としての「見えざる者たちへの忠誠」は、クッツェーがその後も小編のテーマにしているが、その姿勢がここにも見える。ラウリーは、恥辱と転落の果てにやっと「見えざる者たち」を見出していく。

そして、ラウリーの娘ルーシーが父親と亀裂の果てに選択していく生き方。やはり恥辱の末に選んだその道は、理性が届かない世界で、大地が向き合い、生命を育むという事だった。

『恥辱』は、社会問題や時代動向を背景にしながら、身体的・経験的な生きる行為が物分かりのよい軽い知性によって切り取られる事を拒絶している。

終章ではラウリーの再生がやっと暗示される。ただ、それがメタ言語的に示されるだけに、一層余韻が深い。

『日本の弓術』 全体主義の時代のオリエンタリズム

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『日本の弓術』(オイゲン・ヘリゲル著)

 戦前、日本人弓術家の薫陶を受けたドイツ人哲学者が没我の境地に至るまでを簡潔に綴った書。

 

著者ヘリゲルは戦後非ナチ化法廷で「消極的な同調者」との判決を受けている。 日本に滞在していた時、弓術を通じて感動的な禅との邂逅を果たした人物は、全体主義の時代の雰囲気の中で知らず知らずのうちに自己矛盾に陥っていたかもしれない。

ヘリゲルが日本に滞在していたのは1924年から29年。 『日本の弓術』の原型となった講演を本国で行ったのが1936年。ナチス政権獲得の3年後、三国同盟の礎となる日独防共協定が結ばれたのがこの年。 こうした時代背景を頭に入れて読む必要がある。

 

ヘリゲルの師、阿波研造範士は弓術と禅を結びつけた人で、眼を瞑りながら的を射抜くとか、暗闇の中で一の矢を的中させた後、的に刺さったままの一の矢に二の矢を的中させるなど、達人ぶりが物凄い。

禅といえば夏目漱石の『門』で描かれているように、座禅や禅問答を気の遠くなるほど繰り返しても悟りにはなかなか到達できないものだと思う。『門』の中で若僧が、悟りを開いた瞬間は身体を鉛が流れるような感覚がするのですぐわかると言う、印象的な場面がある。

このように禅の悟りとは考えて得るものではなく、極めて身体的・経験的・直観的なものなのだろう。まして弓術など武道の悟りの境地は、矢が的中するとか技が極まるとかの実践を伴うので、そこに至るまでどれほど修行が必要なのかと思うと眩暈がする。

ただ、武道修行者として、一つの境地としてそこに辿り着いてみたいという恋慕に似た思いはある。

 

ところで『日本の弓術』が結語で、仏教における沈思を武士道の死への達観と結び付け、「祖国のためにみずから進んで求める死」を称揚している事については議論の余地があるだろう。ヘリゲルはこの講演の結末近くに「かの武士道精神の根源…そのもっとも純粋な象徴は朝日の光の中に散る桜の花びらである」と述べているが、これは本居宣長の「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」からの援用であろう。

例えば江戸時代の平和期に武士道を説いた『葉隠』にしても、後世独り歩きしてしまった「武士道とは死ぬ事と見つけたり」という言葉より、その中身は処世術の書であったように、禅と武士道が何か関連があるかといえば、実はあまり関係がない。まして宣長神道復権させたイデオローグなので尚の事仏教的ではない。

「敷島」「大和」「朝日」「山桜」とは、昭和19年にフィリピンで結成された海軍第一次特攻隊の各隊の名称である。『日本の弓術』がやはり結びの近くで「現世および自己から訣別ができ、無に帰し、しかもそのためにかえって無限に充たされる」という時、昭和19年に軍の司令官が若者を死へと扇動した言葉と共通のものを見出させられる。

 

このドイツ人の一講演は当時の日本で出版され、かなり流布したという。これが日本軍人に読まれ、後の特攻隊創設のヒントになったとまで言っては言いすぎだろうが、イデオロギーとしての観念的な日本精神を補強した事は否めない。

弓道を通じて体得した沈思没我の境地が、ヘリゲルをして日本人は死を恐れぬ無私の民族性を有していると曲解せしめた。それは禅と武士道を脈絡のないまま結びつけた、一種のオリエンタリズムだといえる。

見えざる者たちへの忠誠-クッツェー著『エリザベス・コステロ』

クッツェー著『エリザベス・コステロ

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エリザベス・コステロなる架空の女流作家がノーベル賞作家クッツェーの分身のような語り部である事の詳細は、くだくだしければ略す。興味を持たれたら本書を一読されたい。

本書では、まず邦訳では4章にあたる「悪の問題」が実に興味深い。 ざっくばらんな感想を言えば、これを小林秀雄あたりが読んだらボロクソに言うだろう。でも今は21世紀だ。小林よりクッツェーに分がある。

そのテーマは、表現の自由はどこまで自由である事が許されるのか? または芸術至上主義は人間社会から遊離して至上でいられるのか? 文学が現実世界に悪をもたらす事が倫理上許されるのか? というような事になろう。

これはフェミニズムが訴え続けた事でもあり、ドウォーキンによるマルキド・サドやバタイユに対する批判と通底する。

ポリティカル・コレクトネスとの関連性も、もちろんある。

ちなみに本編で小道具に使われる『シュタウフェンベルク伯爵のきわめて豊かな時間』は、その著者であり本作の副人物であるポール・ウエストとともに実在するらしい。

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で、『シュタウフェンベルク伯爵のきわめて豊かな時間』を芥川龍之介の『地獄変』に置き換えてみると日本人に馴染みやすくなると思う。かくゆう私も若い頃は『地獄変』に熱狂した。

おそらくクッツェーは芸術至上主義への熱狂に身を浸しつつも、『地獄変』的な、芸術が現実を浸していく事象と距離を置こうとしている。

 

ところが、終章の「門前にて」ではうって変わって文学の意味が湧き出てくる。冥界の門に辿り着いたコステロが審判官達とカフカエスクなやりとりをする中で、「なぜ書くのか」についてのある境地を見出していく。

コステロは、歴史上の罪についての問いかけにすら、殺された者だけでなく殺した者の苦しみをも代弁すべきだと言って、「信念」を相対化する。「目に見えざる者の秘書」として耳に聞こえるものを書き、そのまっとうさを試し、正しく聞き取れたか確かめようちしてきたのだ、と。

これは「悪の問題」で突き出した芸術と倫理の関係と矛盾するのか?それとも重なるのか?

コステロは、「目に見えざる者」の声を正しく聞き取ろうとしている。正しく聞き取る中で、そこに内在する(或いは、内在しない)倫理を問わざるを得ないかもしれない。

そういう意味では、「悪の問題」に引き続いた問題意識といえよう。

1回目の審判は、一元的な信念を求める審判官と、信念を持たない事こそ信念だと譲らないコステロの主張が噛み合わず、結論が出ない。

次の審判までの間、コステロは自らの所業を振り返る。自分は芸術的信仰など見当たらず、ある時期ある場所にいた人々がどう生きたという事を、明瞭に綴ってきたのだと。

2回目の審判、雨季と乾季を繰り返す故郷の大河、雨季の夜の蛙達の蝉しぐれのような声をコステロは追憶する。本編の最も感動的な場面である。

しかし審判官達は、前回は信念を相対化したコステロが、今回は生命を信じている事の矛盾をつく。

2回目の審判を終えたコステロは、自分を支えてきたものは信念beliefではなく忠誠fidelityだった事に気づく。 言うまでもなく、目に見えざるものへの、オデュッセイアの寓話の中で生贄となる牡羊への、乾季に土の中で仮死状態になり、雨季に生命を謳歌する蛙たちへの忠誠である。

 

翻って、読者である私には「そこ」にいる全ての一人ひとりが問題であり、「そこ」にいて掻き消される無数の人々の声を、なおも聴こうとしている。 それはコステロと同じく信念というよりは全ての一人ひとりに対する忠誠であると言ってもよい。

ハーバード・スペンサー ファンダメンタルな自由思想

ハーバード・スペンサーを読んでいる。

 

スペンサーは19世紀イギリスの哲学者で、一般的には社会ダーヴィニズムの提唱者として知られる。ダーウィンの進化論のアナロジーを展開している箇所は本書には見当たらないが。それよりも、小さな政府を主張し、個人が出来るだけ干渉を排除された状態での自由を理想とする自由思想の側面が強い。リヴァタリアニスムの元祖ともいわれるゆえんだ。

 

スペンサーを読もうと思ったきっかけは、ツイッターの投稿で引用されていて興味を持ったからだが、その投稿自体はどういうものか忘れてしまった。私には、興味を持った本を積ん読にしておく悪習がある。さてところが積ん読から掘り出して読み始めるとこれがなかなか面白い。

以下、ちくま学芸文庫『ハーバード・スペンサー コレクション』(森山 進 編訳)に所収されている「社会静学」(抄)から引用しつつ、自由思想の本質に触れてみたい。

 

 「神は人間の幸福を望んでいる。人間の幸福は人間の能力の行使によってしか生み出せない。すると神は人間がその能力を行使することを望んでいる。

(中略) しかし人間が自らの能力を行使するためには、その能力が人間に生まれながらにするように強いている、すべてのことを行う自由を持っていなければならない。すると神は人間がその自由を持つことを意図していることになる。それゆえ人間はその自由への権利を持つのだ。

(中略)カトリックの国のプロテスタント教徒が、聖餐式のパンの通過にあたって脱帽を拒んだとしてみよう。ある感情の要求をこうして拒んだことによって、彼は観察者たちを不愉快にさせた。…しかし悪いのは彼ではなくて、腹を立てた人々の方だ。彼が自らの信仰に従ってそのように行動したのが悪いのではない。

(中略)苦しみは誰かが引き受けなければならない。問題はそれが誰かである。あのプロテスタント教徒は、カトリックの隣人たちの不寛容な精神を悩ますことを避けるために、自分が崇敬しないものへの崇敬の念を示し、事実上嘘をついて、自らの良心の感覚に暴力を働くだろうか? それとも自らの独立と誠実さを優先させて、不健康に頑迷な彼らを怒らせるだろうか?

これらの選択肢の間で迷うことはできない。そしてここにこそ問題の核心がある。…後者の状況では苦痛は有益だ。なぜならそれは、その形態への接近を助けるからだ。

(引用注:形態とは正常な能力が強力なままで、異常な能力が弱まるか、正常なものになる状態のこと)

 

長く引用したが、これがリヴァタリアニズムの元祖スペンサーの思想で、いわば真正自由主義ともいえよう。引用箇所をスペンサーは「自由は他の自由によって以外は制約されない」と結ぶ。日本人が口にしがちな「自由は義務を伴う」とは根本的な考え方が違う。

 

引用しばし。

 「人は自分の諸能力を行使する自由を持っている、と宣言する以外の選択肢はない。この自由がなければ神意の実現は不可能になるのだから」

 自由とは神意、これが元祖自由主義の思想。多くの日本人は自由とは我儘であり、義務によって補正されると勘違いしていないだろうか。

まあ、スペンサーは救貧法を否定するような極端な小さな政府論者であり、社会民主主義的な考えとは相容れないので、あくまで参考のため読んでいるが、ファンダメンタルともいえる自由思想には惹かれるものがある。

 

ところで「社会静学」第一法則の核となる「自由とは神意である」について、 森山進訳では神意が原文ではDivine Ideaであると付記されている。 なるほど、神の意思ではなくディバイン・イデアなのね、とすごく腑に落ちる。

ちなみに、和英辞典で神意を英語で調べてみると divine willか God's willとなる。 日本語で神意とは通常は神の意思と捉えるのでまあそうなるだろう。 ではwillとideaの差は何だろうか? 日本語にもなっているアイデアではなく、語源であるギリシア哲学のイデアだと考えるとしっくりくる。

イデアを真善美と言うと長いので理想としよう。 ではDivine Ideaは「神の理想」と解すべきか?キリスト教文化圏では自然な発想かもしれないが、19世紀における人間の自由の考察が「神」を上位概念におくのはちょっとズレているような気がする。 では、「神聖な理想」はどうか?あるいは神聖転じて「不可侵の理想」というのは?

 

こうなってくると天賦人権の天賦と親和性がでてくる。 で、腑に落ちたというわけ。 「社会静学」第一法則に戻れば 「自由とは不可侵の理想である」

 

自由とは不可侵の理想である。

 

よくないですか?

 

もちろんアマチュアの考えなので誤りがあれば訂正くださいませ。

 

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22世紀の本土決戦 ①逡巡

 22世紀、人間が人間を攻撃する戦争は禁止されたが、替わりにドローンや無人機械が都市や家屋を破壊する事で人間を殺したので、人類の覇権争いの手段としての戦争は無くならなかった。

 上空で核分裂を人為的に起こす行為も禁止されなかったので、過去先進国と呼ばれていた都市の大半は灰燼と帰し、消滅した。旧先進国はどの国も、人口が減少に転じ始めた20世紀末から破滅を約束されていたが、過去の栄光に縋ろうとする試みは、西欧対ロシア中国の絶滅戦争を招来したのだ。

 絶滅戦争に勝者はなく、コロンブスアメリカ「発見」以後600年間続いた白人優位の世界支配は終焉した。

 ヨーロッパ、北米、東アジアは無政府状態となり、民心とは無縁の勢力が、民族や宗教や既得権を「大義」として無人兵器で殺しあった。生きる場所を求める人々は北半球を離れ、産業が維持されているインド、アフリカ、南米に渡った。移住先での生活は困難を極め、移民達は犯罪者の烙印を押された。

 

 アキラは17歳、幼少の頃の東京への核攻撃で両親は行方不明なままだ。現在は日本を分割している二大武装勢力の片方、「日本民主主義人民共和軍」に参加する少年兵だ。少年兵といっても21世紀までの戦争のように小銃を持って戦闘するのではなく、シェルターの中でモニターを見ながら機械兵器を操縦するのだ。ただし、少子高齢化が極限まで進んだ日本の事なので、軍の構成員の大半は中高年、最高司令官は89歳なのである。

 男女平等を謳う共和国軍には女性兵士も多く、女性兵士も大半は中高年だった。そうした女性兵士達は昇進の男女格差や、稀に存在する少女兵士に対するグラビアアイドル的な扱いに不平を言った。アキラは18歳の少女兵士アイと付き合っていたので、二重に危険だった。男性グループからも女性グループからもやっかまれる可能性があったからだ。

 アキラは他の少年と同じく15歳で徴兵された。居住区の人口動態が厳しく管理されているので徴兵を免れることは出来ない。アキラの同学年13名中で軍に入らずに済んだのは偏差値上位の2名だけだった。そいつらは将来文民登用が約束されている高等学校へ進んだ。

 1学年上のアイも徴兵されていた。ここでは男女平等なのだ。アキラとアイは演習で出会い、それから誰にも気づかれないように2人で会っていた。

 アキラもアイも状況を罵り、軍への愚痴を言い合う事で共感を得ていた。

「いつかここを出たい」が2人の口癖だった。でもそれを決して他人に聞かれていけない。それは営倉入りの対象となる言動で、敵前逃亡は兵士にとって重罪で、ここは軍隊だったのだ。「軍隊内改革」とやらのおかげで、上官による兵士への体罰は厳禁されていたが、だからといって処罰が無くなるわけではないのだ。

 

 ある非番の日、アキラとアイはシェルターの中心から遠く離れた迷路のような隘路の突端に来た。行き止まりの壁には大きなハンドルが据えられたハッチがある。ハッチのロックは中央管制室で管理されていて、もちろん開かないはずだ。

「もしこいつが開いたらな」

 冗談半分でアキラがアイにそう言いながらハンドルに手をかけた。

 ハンドルが動いた。

「え?」

 顔を見合わせた2人に緊張が走る。外に出たい願望はあっても、勝手に出たらどうなるか2人とも嫌というほどわかっていたからだ。兵士の手首には自分では外せない認識票が嵌められ、GPSで居場所がすぐわかってしまう。改革のため、軍隊内の死刑は廃止されていたが、屋外いたるところに張り巡らされた遠隔カメラとレーザー砲によって逃亡兵は殺され、書類上は事故として処理されるのが常だった。堅固なシェルターが敵の攻撃で破壊される事はなく、アキラが徴兵されてから2年たつが隊内の戦死者はゼロだった。欠員がたまに出るが、それはこのような「事故死」か、自殺のどちらかだった。

 2人は逡巡したが、アイも手を重ねて、ハンドルをゆっくり回した。

 ハンドルが何回転かする間に、そのように欠員として処理されていった死者の事を思い、出口を塞がれたシェルターでの毎日を思った。モニターの前に座っていればそれでよい毎日。戦果を挙げれば上官から褒められ、食料もある。でも、選択肢がなかった。そこにいる誰もがそうだったように、そこ以外で生きる事が出来なかったのだ。

 

 ついにハッチが開いた。

 そこは丘陵地帯の中腹だった。眼下に一級河川とおぼしき川が銀色に蛇行している。丘を下りきった平地には破壊された建築物がどこまでも広がっていた。どこかで鳥がさえずっている。

「本物の鳥の声だ」とアイ。

「久しぶりだな」

「鳥には戦争はないのね」

 アキラはアイの言葉を、これが平時だったら何をわかりきった事を言うんだと馬鹿にしただろうと思った。今、2人には鳥にとって当たり前の自由すら無い。

 2人はハッチから半身乗り出して大きく呼吸した。太陽と空を直かに見るのは何て久しぶりだろう。僕らの本当の居場所はどこなのか? それが空の下、大地の上なのは考えなくてもわかる。地下にずっと籠るのは、まともじゃない。

「どうする?」アイが訊いた。

 ハッチから1メートルでも離れれば、GPSが本部に2人の異常を知らせるだろう。そうなったら誰も2人を説得などしてくれない。何年も膠着した戦線の、閉塞感に満ちた部隊の中の事故として、誰に騒がれる事もなく処理されるだけだ。

「俺と死にたい?」

 アイがうなずいたなら、一緒にシェルターを出よう。そして一緒にレーザーに焼かれるのだ。アイは空を見上げて、大きく息を吸って、吐いてアキラをじっと見た。

「死んじゃだめ、まだ」

 太陽に照らされ、鳥が囀る中で2人は長いキスをした。だって、今度いつ空を見られるかわからないから。

 長いキスの後、ハッチを閉じて2人は地下に戻った。

 

(続く)

 

 本作はフィクションです。20世紀後半から21世紀にかけての先進国の人口減少と、第二次大戦後世界各地で続いた戦争の記録、「失われた30年」と呼ばれる平成から令和にかけての日本の経済的凋落と閉塞感を無作為にアナロジーして物語にしています。

 

 

身辺雑記 自由・旅・拡張性について

 通勤用のママチャリをアップグレードしたくて専門店に行った。 カゴがでかくてお洒落なクロスバイクもどきをイメージしていたが、そこでグラベルロードの実物を見てしまった。

 グラベルロードとは、ロードバイクのタイヤを太くしたもので、林道に入れるしキャリアがつくのでキャンプも出来る。 極端な話、タイヤとギヤを変えればロードレースにも出れる(やや無理はあるが)。この、用途を限定しない「拡張性」というのがグラベルロードのキモで、競技に勝つために合理性をとことん追求したロードバイクとは指向が真反対だ。ある目的のために使役される機材ではなく、こいつがあるおかげで自由になれる、そんな存在だ、きっと。

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 これがあれば行き先を決めない旅が出来る。 で、欲しくなって数日間ずっとその事を考えていた。

 完成車で10万円切る位の良スペックのものはあるが、趣味の自転車を完成車で買うという発想になれない。 中学生の時は新聞配達で金を貯めて激安のフレームを買ってランドナーをバラ完させて毎週末に丹沢の林道に行った。楽しかった。グラベルロードを知って、40年ぶりに林道に入りたくなった。

 その後、十代後半は自転車競技にどっぷり嵌り、競技をするようになるとバラ完どころか工房でジオメトリーをオーダーするようになった。ミリ単位の話なんだけど、乗り心地とレスポンスに影響するわけです。

 競技をやっていた数年間で既成フレーム、オーダー合わせて5台くらいは乗り継いだだろうか。 選手をやめてからはママチャリしか乗っていないし、再び競技の世界には行かないし、一度完全燃焼しているので今時のロードバイクに全く興味が湧かなかった。

 でも、グラベルロードは良い。自由になれそうだ。テントとシュラフとコンロだけ積んで行き先を決めない旅に出たい。数十年ぶりに趣味の自転車が欲しくなった。

 さてグラベルロードをバラ完させようとしている。 黒いロードバイクもどきはフレーム2万円で思わず衝動買いしそうになったが、太いタイヤが入らないのでボツ。青いのがグラベル専用フレームで8万円。カッコええ!賞与で買おう。

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 ちなみにフレーム8万円だと完全させると20万円以上だろう。10万くらいの良質な完成車を買った方がよほど経済的。でもね、完成車の「このモデルは〇〇向き」っていうのがお仕着せっぽくて嫌なんだよね。 自分が乗るものは自分で組みたい。カタログの1頁に収まりたくない。

 妄想炸裂の文章になってしまった。 一年後には紅葉の林道に奥深く分け入っていたいものだ。 四半世紀以上前に離れたつもりだった世界に再び引き摺り込まれるのは、偶然を超えた何かを感じざるをえない。

 

 

冷笑系の起源~加藤典洋『言語表現法講義』批判

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加藤典洋『言語表現法講義』は1987年から9年間に渉る、氏の明治学院大学での講義をまとめた書である。

本稿では本書の「第六回」の、多少なりとも社会、歴史に触れた部分に限って批判的に言及する。それ以外の、文章作法について述べている本論は全て感動をもって受け止めたし、私ごときが抗えるものではない。

 

『言語表現法講義』が出版されたのは1996年である。

1996年といえば、9/11ツインタワーへのテロもまだ知らないし、東日本大震災も、福島第一原発メルトダウンも知らない。もちろんコロナのパンデミックも知らない。インターネットもまだ出始めで、ネトウヨや♯MetooといったSNS上のムーブメントも知らない。

1996年と現在では日本も世界も全く変わってしまったが、もちろん当時の加藤典洋氏は現在の世界がこうなっているだろうという事を本書の中で一言も述べていない。

文芸評論家は予言者ではないので、別にそれで構わないのだが、当時40代だった加藤氏と学生との世代間対話の試みの中に、24年前に校庭に埋められた「未来への手紙」のようなものを感じなくもない。当時の学生は今40代から50代、社会の中核を担っている筈だ(と、いうか私とほぼ同世代、ちょっと下くらい)。本書は私も知る90年代の空気の中で彼らがどのように思考形成をしたかを知る手掛かりになる。

 

結論をいえば、開封された「未来への手紙」を読んだ感想は「だからだめになったんじゃん」だった。

1990年代から日本は「失われた30年」といわれる経済的凋落を経験し、現在もその只中にある。教育水準、女性の地位、報道の自由において世界水準からどんどん取り残されていっている。経済面とともに、政治・文化的側面でも日本を先進国たらしめてると胸をはって言えるものがなくなっている。

社会的意識の質的な変化もある。「ネトウヨ」といわれるような誰でも参加しうる排外主義のムーブメントの発生。女性達によるSNSを通じたセクシャルハラスメントの告発。ジニ係数が0.4に迫る(暴動必至レベル)ほどの格差の拡大。そして人種、性的立場、格差による対立の顕在化。これらの現象は明らかに90年代とは異なり、先鋭化している。

私達は、90年代の平和と繁栄を失ったのは間違いないようだ。

本書が「未来への手紙」だとするなら、そこから凋落の要因の一端を紐解く事は不可能ではないだろう。

 

本題に入る。

主として採り上げたいのは「第六回」中の「沖縄の校外実習報告書」からのくだりである。

加藤氏の生徒が書いた感想文が実習受け入れ先の沖縄側から猛烈な批判を浴びた経緯と、それに対する加藤氏の態度である。

まずは問題となった生徒の文章を部分引用する。

ひめゆりの塔の平和記念資料館を見た。(中略)私はこの資料館の悪意が嫌なのだ。悪意と呼ぶにはあまりに失礼なら死者とその生き残りの者、その同窓生たちの怨念が嫌だったのだ。(中略)何のための資料館か。戦争を2度と繰り返さないためのもののはずだ。これじゃ自己完結してしまいそうだ。泣いている人もいた。(中略)でも私は泣きたくなかった。実際には涙が出そうになった時もあったけど、今私が泣いたら、この涙は私にとってのカタルシスにすぎない」*

 

これに沖縄側はどう反応したか。以下は、沖縄の学生の反論である。

「(前略)沖縄戦を語る証言者の多くは、自ら戦争によって被った傷をかかえながらも、戦争を許容しまったことに対する自己の姿勢を問うている。(中略)少なくとも私は、その人々が様々な思いを抱きながら沖縄戦について語る姿に接した時、『酔っているかもしれない』」とは思わないし、『悪意』や『怨念』という評価を与えるつもりもない。戦争を知らない者は、過去の戦場を想像することと同様に、それを語る人々の気持ちをも想像していかなければならないのだと思う。(中略)証言者は証言を語ることによって、まさしく、この『努力』をしているのである。そして、戦争を知らない者は証言を聞くことにより、その『努力』をしていくのではないだろうか」**

 

加藤氏はこの論争に以下の様に向き合い、自分の生徒を擁護する。

「適当な言葉がないので『生き難さ』というコトバを使いましょう。そしてその程度を比喩的に重力でタトエると、『本土』の二十歳前後の学生の重力は私から見て、0.7、沖縄の学生のそれは1.2、経験者のそれは1.7、というくらいの違いがあると感じられます。ところで、ここにはその0.7の重力の中に生きる人間が異質な世界に接し、そこから何かを受けとろうという際の、しごくまっとうな態度が示されているのではないでしょうか。(中略)

さて、沖縄の本土観の成熟の課題とは、こういう(わたしのものも含め)ふやけた意見をどう呑みこむか、という形をしているのではないか。また『本土』の沖縄観の成熟の課題も、その異質性にぶつかってなお、どうこのふやけきった(? ←引用注原文ママ)気分を自分の中に持続させるか(負けずに)ということにあるのではないか」***

「この沖縄の人の反論は、正論ですね。本土でも20年くらい前までは、こういうことが言われていました。いまは、言われなくなりましたが、しかし、この論が正論であることは動きません。そして、この反論が正論であるうえに、十分に正当であるなら、ひめゆりの塔の資料館の展示その他に、悪意、怨念を感じる、私はイヤだ、という先の感想文の趣旨は、批判されるべきだ、というのがここにある二つの論の関係です」****

「僕は、もし自分が沖縄の人間だったら、この感想文を歓迎したと思います。いや、沖縄に必ずやこの感想文をしっかり受けとめる人がいるはずだと確信して、(中略)あの感想文は、沖縄の現状へのよい感想なのではないでしょうか。そこでの戦争体験継承が、本土の場合のように、やはりやがて自己完結してしまい、先細りする可能性にいち早く警鐘を鳴らしているのですから。(中略)0.7の人間に出来ることは、1.7の世界に行っても自分が0.7の世界の人間であることを忘れないこと、0.7の人間にとどまることではないのでしょうか。それがむしろ、彼ないし彼女の0.7の感覚が変わるとして変わりうる、唯一のすじみちなのだというのが、僕の考えです」*****

「そうでないものも『告発』できる、そういうふやけきった告発の道を、探す使命が、僕たちに残されています」******

加藤氏の引用の、鉤カッコの三・四番目が氏の結論部分である。本文では、この間に〈入口(東京の学生)-出口(沖縄の学生)〉というロジックや、崖を上るのに上から垂らしたロープ(ロープを垂らすのは沖縄の学生)をつたって登るか、下からハーケンを打ち込んで(東京の学生が自分の感じ方に立脚するという事)登るのかという比喩を用いて自説を補強しているが、くだくだしければそれは略す。

 

さて、この議論についての私の考えを述べていきたい。

引用した部分に即していえば、加藤氏のロジックは2点である。

一つ目。

本土の学生、沖縄の学生、資料館の証言者それぞれには「生き難さ」の重力の差がある。前者は軽く、後者は重い。軽いものが軽い時点で感じたものは、ふやけきっているが、それは持続させなければならない。

二つ目。

戦争体験はやがて自己完結し、先細りする。かって本土がそうだった。そうならないためには、0.7であっても告発しうる、そういった、ふやけきった告発の道を探さなければならない。

 

ではこれらの何が問題なのだろうか。

論争当事者の重力を加藤氏は「生き難さ」と表現していて、この表現が読み手にすごく混乱を与えるが、平たく「存在の重さ」だとしよう。東京の学生は軽く、沖縄の学生は中間で、戦争体験者は重い、という。いかにも頭の良い人が捻りだしそうなレトリックだが、こういうのは、ただの屁理屈の可能性が高いから注意が必要で「なるほどねぇ」などと安直に頷いてはいけない。

東京の学生の感想文にはしっかりしたロジックがある。学生の感想文は「平和資料館に違和感をおぼえる。なぜなら自己完結的で、個人のカタルシスしかもたらさないからだ」と言っている。

 

これは軽くない。

ふやけきっていない。 

 

むしろ、政治的・歴史的・経済的に沖縄と隔絶した中で生きてきて覚えるであろう、それなりに根拠を持った感性だ。豊かさと安定を背景にした、(あくまで比較の上でだが)社会的強者の赤裸々な本音だ。

これは戦争の悲劇を告発するという「正論」に至る入口といえるのだろうか? そうではなくて、沖縄とは違う本土の歴史的・社会的背景の中で生まれた、全く別の立場ではないのか。

東京の学生にとって、「自己完結しておらず、自己陶酔に陥らない世界」というのは、学業だったり就職だったり、結婚、出産などの、強固な生活世界そのものではないのか。

だからこの論争に向き合うにあたってまず必要なのは、この断絶を認める事となる筈だ。

東京の学生は0.7ではないし、ふやけきってもいない。むしろ沖縄の学生の論理と全く相容れない事を確信を持って言っている。そうであれば、東京と沖縄の学生同士の立場の非和解性と、その溝の深さを認める事こそが誠実な態度といえるであろう。

 

さらにいえば加藤氏の仮説に従えば戦争体験は時系列とともに先細りしていく事になっている。かって本土がそうだったように、沖縄もそうなるのだと。この仮説は、2020年になってしまった今の視点からいえば、いろいろ示唆に富んでいる。

 

まず、本土でいえば戦争体験は先細りどころか忘れ去られているといってよい。そもそも太平洋戦争で日本と戦った国がどこかわからない大学生が出現している位で、それはそれで由々しき事だが、要するに、第二次世界大戦はもはや確実に遠い過去の歴史になった。だから修正主義論争のような、解釈をめぐる争いが起こるのだ。戦争は、少なくとも今を生きる人々にとって生きた体験ではない。

では沖縄はどうか。戦争体験自体は、生存者の方が亡くなっている事などから、90年代と違って、生きて語れる人は非常に少なくなっている。一方、反戦平和運動辺野古基地建設強行への反発が大きな力を持ち、二期に渉って基地建設反対派の知事が圧勝している事はご存知の通りだ。「告発」は「先細り」していない。

それはなぜか。本土と沖縄を水平面で捉える事が出来ないからである。本土住民は、安保体制の受益者でありながら、、その実体である在日米軍基地の97%を沖縄に押し付けている。このわかりやすい地域差別が現在も本土と沖縄の間の格差を生み出し続けている。これが解決されない限り、基地問題・平和問題は沖縄にとってずっと現在の問題で在り続ける。

 

このように、当事者間の現実の格差を無視して抵抗者(ここでは沖縄)の言説を骨抜きにしていく事は、一種のトーンポリシングではないのか。

トーンポリシングとは「発言者の議論の内容ではなく発言者の口調や論調を非難する事によって発言者の妥当性を損なう」行為である。基本的には、強者に抗議する弱者の言説(その多くは怒りを内包する)を、怒気を伴うなどの理由で毀損する事を示す。女性フェミニストと男性ジェンダーの間のやり取りで問題化する事が多いのは皆さんもよくご存知だと思う。正常性バイアスとも親和性が高い考え方で、社会の分断や危機的状況を隠蔽する役割を持つ。

トーンポリシング正常性バイアスといえば、最近では新型コロナウィルスの危険性を過小評価する言説として現れたり、原発事故後に「放射脳」「風評被害」など放射性物質の危険性を告発する人々に向けられた非難など、最近の日本でも問題性が指摘されるようになっている。

そしてこれらの言説をネット世界で担っているのが「冷笑系」と言われる人々で、社会問題の告発者を嘲笑してその影響力を減衰させるのに一役買っている。冷笑系の育った時代背景はバブル期から90年代までの、まだ日本が経済的余裕があった時代である。

その時代の中で育まれた、自分の生活世界だけを信奉する価値観は、一時期の日本社会では優勢になったが、社会の分断が進むにつれて、その存在が抑圧的なものとなっていると考えられる。

 

ここまで書いて「未来への手紙」の正体がわかったのではないだろうか。それは決して読後感の良いものではなく、その誤謬を明確にして始めて、次の足がかりが得られる類のものなのだ。

 

 

【引用元】

全て『言語表現法講義』加藤典洋著 岩波書店1996年第1刷より

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